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【〝密林男〟前代未聞の怪力デモンストレーション】


──グレート・アントニオと猪木さんの最初の接点から聞かせてください。


猪木 グレート・アントニオが初めて日本プロレスに来たのはまだ俺が入門したての頃で、羽田空港でいきなり長イスを「ウワァー!」って持ち上げてそこに集まっていた人たちを追い回してね。新人の俺なんかいちばん前にいたんで、とにかくびっくりして逃げた! ジャイアント馬場も逃げた!(笑)


──『第3回ワールド・リーグ戦』に初来日した際(1961年4月27日)〝密林男〟という触れ込みで、とんでもない怪物として騒がれたんですよね。


猪木 神宮外苑で本当にバス5台を引っ張ってね、当時はすごい迫力だった(註/実際に引いたバスは4台。前代未聞のデモンストレーションを見物するため1万人が集まった)。もっとも、力は凄かったけどそれだけじゃ闘いにならないわけで。相手をする方としては結構しんどい部分があった。レスリングにならなくて別のモノになっちゃう危険性があったから……。だから、きっとアントニオをうまく売り込んで連れてきたグレート東郷という興行師が本当に商売上手だったんだね。


──グレート・アントニオは若手レスラー数人を相手にハンディキャップマッチも行っていたようですが、その中に猪木さんも含まれていたんですか?


猪木 たしかあったような気もするけど憶えてないですね。あんまり試合の印象は残ってないんです。


【ゲテモノレスラーを〝生かした〟力道山と〝殺した〟ゴッチ】


──そのグレート・アントニオを新日本プロレスが16年ぶりに招聘しました(19771020日〜128日/『闘魂シリーズ』)。猪木さんが提唱していたストロングスタイル・プロレスの方向性とは真逆。水と油のタイプだったと思うんですが?


猪木 プロレスっていうのは一番には強くなければいけないんだけど、その次に、やっぱり人気が必要なんですよ。大衆を振り向かせなければ何も始まらないわけで、振り向かせた上でどういう試合をしてみせるかが重要であって。マクガイヤー・ブラザース(註/両者の体重合計300キロを売りにしていた巨漢双子レスラー)とかヘイスタック・カルホーン(〝人間空母〟〝お化けかぼちゃ〟と呼ばれた体重273キロの巨漢レスラー)とかも下手したらゲテモノタイプの客寄せレスラーだったんだけど、当時のお客さんは一部のマニアを除けばまだまだレベルの高いレスリングより、そういう刺激を求める感覚の方が強かったんですよ。

俺の師匠であるカール・ゴッチなんかはそういうタイプのレスラーとは絶対に試合をしなかったし、やっても試合にならなかった。そこが力道山とのビジネス感覚の差でもあったんだけど、俺の場合、力道山からそういう部分を遺伝的に引き継いでいたんですね。マクガイヤーのときなんかとくに興行的に厳しい時期で、背に腹代えられない部分もあったんです(’74年、’75年、’77年、新日本プロレスに3度参戦)。だけどね、最終的にアントニオ猪木はどんな相手とでも勝負できて、観客を満足させる闘いができる自信はあった。


【一段レベルの高いプロレスを理解できなかったアントニオへの怒り】


──プロレス史に残る凄惨な制裁試合となったグレート・アントニオ戦(1977128日/東京・蔵前国技館)なのですが、以前、猪木さんは「アントニオは感性のキャッチボールができないレスラーだった」と話してくれたことがありました。この試合で猪木さんが爆発させた怒りは、アントニオのそういった感性の鈍さに対する失望だったんでしょうか?


猪木 さっきの話とは矛盾するんだけど、その頃、俺自身は〟プロレスとはこうあるべき〟みたいなこだわりが強い時代だった。だからこそ、自分の信じる〝これぞレスリング!〟っていう世界に、相手がゲテモノであろうと引きずり込んでひとつレベルの高いプロレスにしてやろうという気持ちが強くあったのは確かで……。そういう思いが伝わらないことに対する怒りはあったと思いますね。


〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉




# by leicacontax | 2022-11-08 08:11 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)

【アリ戦の負債が異種格闘技路線を継続させた】


──そもそも『格闘技世界一決定戦』とはモハメド・アリ戦を意味する呼称のはずでした。しかし、この一戦によって新日本プロレスは莫大な負債を抱え、やむを得ず異種格闘技戦がシリーズ化されてしまったわけですが、猪木さんとしてはどんな思いでリングに立ち続けていたのでしょうか?


猪木 〝宵越しの金は持たない〟というようなイベントをやってしまった結果として残ったのが世間の酷評と莫大な借金でしたから。それを返すためには普通のことをやっても返せないし、リングで作った借金はリングで返すしか方法がなかったんですよ。


──一連の『格闘技世界一決定戦』はテレビ朝日の『水曜スペシャル』という特別番組枠で放送されていました。放映権料はどれくらいの金額だったんですか?


猪木 そうですね、1回のスペシャル枠は当時で5000万から6000万円くらいだったと思います。


【マスコミの酷評が最大のダメージだった】


──アリ側とは互いに契約不履行をめぐって訴訟合戦になり、その過程で再戦の話が浮上してきたと聞いています。当然、猪木さんも再戦によって決着をつけたいと考えていたわけですよね?


猪木 いや、本当のことを言うと、あまりにもダメージが大きすぎてすぐに再戦したいという気持ちにはなれなかった。ほとんどすべての新聞に「世紀の凡戦」「茶番劇」と叩かれたことは俺にすれば思わぬ結果だったんですよ。俺自身は精一杯やったという満足感があったんだけど、それが全然認められなかったんですから。試合が終わってすぐ、蹴りまくった足が痛むので医者に行ってレントゲンを撮ったら「剥離骨折してます」と言われて、治療を済ませて家へ帰って翌朝の新聞を見たらそれでしたからね……。絶望的な気持ちだったんですけど、外に出たときたまたま通りがかったタクシーの運転手さんから「いやあ昨日はご苦労さん!」って声をかけられて、その一言に救われたんですよ。

だから、俺としては正直、もういいという気持ちでした。でも、新間(寿)をはじめ周囲の人間は、俺が味わったそういう恨みや屈辱をなんとか晴らそうと、あの手この手でアリを追い込んで行ったんです。そうこうするうちに格闘技戦も軌道に乗ってきたし、俺のほうもだんだん元気が出てきて、アリとの訴訟に関する流れのなかで再戦の可能性も出てきて、それもいいかという気持ちになってきたんです。


【闘った者同士の心の中では決着がついていた】


──アリ側は再戦についてはどういう反応だったんですか?


猪木 アリはいまでも会う度に「あんな怖い試合はなかった」って言うのが口癖なんだけど、おそらく本人はもうやりたくなかったんでしょうね。ただ、当時のアリの背後にはブラック・モスレムという宗教団体の教祖のハーバード・モハメッドがついていて権限を持ってましたから、周囲の思惑としては「またカネになるかもしれない」と乗り気だったんじゃないでしょうか。それで交渉もしばらく継続したんだと思います。


──ということは、当事者同士の意思とは無関係に再戦の話は進んでいたと?


猪木 俺も再戦の話は口にしていたから無関係とは言わないけど、あの一戦が俺にとってもアリにとっても、たとえ誰が評価してくれなくても精一杯の闘いだったことはたしかだった。だから再戦するまでもなく、二人の心の中ですでに決着はついていたんです。


〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉





# by leicacontax | 2022-10-27 08:56 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)

現実は精巧に造られた夢である。〈長谷川りん二郎の言葉〉


by leicacontax