人気ブログランキング | 話題のタグを見る

【梶原一騎との微妙な蜜月】


──アントニオ猪木vs.ウイリー・ウイリアムス戦(1980年2月27日/東京・蔵前国技館)の仕掛け人は劇画原作者で格闘技界のフィクサーとも呼ばれた梶原一騎さんでした。梶原さんとの関係について話していただけないでしょうか。


猪木 俺は梶原さんとはほとんど付き合ったことがないんだ。ウイリー戦も、その後のタイガーマスクの件も、新間(新日本プロレス営業本部長・当時)と梶原さんの間で進められてたんですよ。


──『タイガーマスク』(画・辻なおき/『ぼくら』『ぼくらマガジン』『週刊少年マガジン』’68’71年連載)、『四角いジャングル』(画・中城健/『週刊少年マガジン』’78’81年連載)、『プロレススーパースター列伝』(画・原田久仁信/『週刊少年サンデー』’80’83年連載)等々、梶原作品にはずいぶん猪木さんのキャラクターが登場してますが、それらを読んだことは?


猪木 いや、実はほとんどないんです。


──え!? そうなんですか?


猪木 正確にはテレビとかでチラッと見たくらいはあったかもしれないんだけど、ほとんど記憶にも残ってない……。


──では原作の劇画も?


猪木 読んだことないんです。


──『四角いジャングル』という作品は、劇画と現実の興行がリンクしたり、またそれが映画(『格闘技世界一 四角いジャングル』、『激突!格闘技 四角いジャングル』、『四角いジャングル 格闘技オリンピック』の4作が'78’80年にかけて製作された)として公開されたりというメディアミックスの先駆的なプロジェクトでもあったんですが、猪木さんはプロデューサーとしては参加していなかったんですか?


猪木 ええ、俺の役割というのはリングに上がって試合をすることというか、ボクシングでいうコーチと選手みたいな関係だったから、そういう部分はみんな新間に任せて、俺を材料にして何かを引き出せ、みたいなね。


【〝猪木監禁事件〟の一部始終】


──梶原さんとは個人的な付き合いもなかったんですか?


猪木 全然。極力避けてたんですよ。俺、梶原さんは好きじゃなかったから(笑)。


──好きじゃなかったんですか(苦笑)。


猪木 最近になって彼の仕事に対する再評価もありますよね。実際、あれだけのことをやった人はいませんし、プロレス界にも多大な貢献をしてくれました。素晴らしい感性を持っていた人だということは俺も当然認めてます。ひょっとすると、ちゃんと付き合えばいい関係も作れたのかもしれないんだけど、残念ながら俺のほうにはあまりいい思いが残ってなかったんで……。

新間との間でなにかトラブルがあったとき、俺も一緒に大阪のホテルの一室に呼び出されて、よく事情が呑み込めないままいきなり脅されてね。一緒にいた男は「チャカ持ってこい!」とか言ってるし。俺は〝チャカ〟ってピストルのことだってそのときは知らなかったんだけど(笑)。本当はそんなのも単なる脅し文句だったんでしょう、一通り言いたいことを言い終わったようなんで「じゃあ帰りますよ」と帰ってきたんだけど……。あのとき、ホテルの廊下を「後ろから襲われるかもしれないな」と考えながら歩いたことが印象に残ってますね。


【影響を与え合う関係じゃないと何も生まれない】


──それまで梶原さんと新間さんはいい関係でしたよね。それがなぜそんなことになってしまったんですか?


猪木 仕掛け人同士ですから、なにか思惑のズレみたいなものもあったんじゃないですかね。立場も違いますからそれもあって当然ですし。でも、梶原さんの場合、そういうスキャンダルにしても本当は当事者なのに第三者の立場をとって作品にしたりするでしょう。だから「チャカ持ってこい」っていうような芝居じみたことも、結構、面白がってやってたんじゃないかな。


──人生そのものが自作自演の梶原劇画であり、創作のネタでもあったんですね。


猪木 そうじゃないですか。だから面白い魅力的な人ではありましたね。それになんのかんのと言っても、あの人はアントニオ猪木のファンでしたから(笑)。


──梶原さんと新間さんは、そういう意味では、あの手この手で猪木さんからスキャンダル性みたいな部分を引き出した張本人たちでもありますね。


猪木 そうかもしれないね。多かれ少なかれ、影響を与え合う関係じゃないと何も生まれないし、つまらない。ときには例のスキャンダルみたいな悪影響の形になってしまうこともあるけど、基本的に俺は自分に影響を与えてくれた人たちには感謝してますよ。


〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉



アントニオ猪木が語る〝劇画界の巨星・梶原一騎との本当の関係〟_f0070556_09185507.jpg

劇画界の巨星の遺作(未完)となった『男の星座』手書き原稿。
作品後半は病床で狭心症の発作と闘いながらの執筆だったという。


取材でお世話になった高森篤子・梶原一騎夫人が語ってくれた
「結局、梶原一騎という作家は人間の業のすべてを、
三百六十度、趣味嗜好から性癖も含めて何もかも描こうとしてたんです」
という言葉が強く印象に残っている。

アントニオ猪木もまた
人間の業のすべてをリングで表現しようとしたプロレスラーだった。






# by leicacontax | 2022-11-11 09:52 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)

【ルスカの強烈な投げを無力化した究極の受け】


──以前、日本プロレス道場時代、大坪清隆さんという柔道出身の先輩からよく指導を受けていたという話を伺ったんですが、その点も含めて、猪木さんがウイリエム・ルスカ戦に臨むまで抱いていた柔道という格闘技に対する認識について聞かせてください(註/このインタビューが行われたのは1996年。その時点から20年前のルスカ戦について猪木さんは振り返っている)。


猪木 坂口征二という柔道の一級品もいましたから、まあそれなりの認識はありました。柔道家っていうのは柔道着を着けさせたらとてつもない力を持ってますよね。ただ、裸で掴むところがない場合は手がなくなってしまう。ルール上、そうなってますからこれはしょうがない。それにもともと柔術にあった関節技が、全部禁じ手となってスポーツ化したことで、格闘の原点というか、格闘としての魅力がずいぶん薄れてしまったと思いますね。不思議なことにそういう原点の技術が、サンボやグレイシー柔術のような形で残っていたところが非常に面白いんだけど。


──ルスカには柔道の他にサンボの技術があったことは対戦前から知っていたんですか?


猪木 クリス・ドールマンというサンボの世界チャンピオンが同行してましたから。


──その頃の日本では一般的にサンボがどんな格闘技かほとんど知られていなかったと思うのですが?


猪木 俺もあんまり詳しくは知らなかったですね。だいたいこんな感じかなって予測はついてましたけど……。


──ルスカは相手の腕を極めながら投げるなどサンボ流の投げを使ってましたが、普通の柔道やレスリングの投げに比べ、相当受け身が取りにくかったのでは?


猪木 グレコローマンの投げ方、プロレスの投げ方、柔道の投げ方はそれぞれ違うし、たしかに受け身の取り方も変わってきます。これは最近気づいたんだけど、相手がどんな投げ方をしてきても、それに力で対抗しようとか、きれいに受け身を取ってやろうとか考えないで自分を〝無〟にする……。そうすると投げを吸収してダメージが少ないんですよ。


──相手の投げ方が問題なのではなく、自分を〝無〟にして受け切れるかどうかが重要だと。


猪木 そうです。


【ルスカの本当の強さは技へ引き込む技術】


──ルスカ戦では「柔道だったら猪木は何回一本負けしたか」という意地悪な意見もあったほどルスカの投げはインパクトがありました。受け身の名人でもある猪木さんに、あの投げはどの程度のダメージを与えていたのでしょう?


猪木 プロレスのリングは畳に比べればショックを吸収するようにできてますから、たしかにルスカの投げにはハンデだったと思います。ただ、ルスカが本当に強かったのは〝投げに入るまでの巧さ〟〝引き摺り込む強さ〟で、こっちが投げられまいと腰を落として膝をついてもススッと足を滑り込ませてきて跳ね上げる。それが決して力任せじゃない。そのへんはおそらくルスカに勝る人っていないんじゃないかな。筋肉もボディビルのものじゃない格闘技で培った筋肉で、もの凄い力でしたね。


【立ってよし、寝てよしのルスカ。しかし、体型は関節技に不向きだった】


──ルスカの腕がらみ、プロレスでいうアームロックや腕ひしぎはどのくらい効果があったんでしょうか?


猪木 柔道技の中でも投げに関してはルスカの天性というか、これにはとてもじゃないけど太刀打ちできなかった。けど、グラウンドに入ったときはルスカの体型的な問題というのがあって、どこかに隙間を作ってしまうところがありましたね。柔道の試合ではそれほど問題にならなかったみたいですが。


──それでも、ルスカが猪木さんとの異種格闘技戦で見せた〝投げからの関節技で一気にフィニッシュ〟というパターンは、当時、関節技のないスポーツ柔道を見慣れていた目には新鮮に映りました。最近は柔道でもずいぶん関節技がポピュラーになってきたようですが。そこで質問です。ルスカ戦の後、「ロープブレークのルールがなかったら、ルスカは腕ひしぎで勝っていたのではないか」という意見がかなりあったのですが、それについてはどう思われますか?


猪木 俺の場合、なんていうかそういう疑問を残すことで見る人に夢を残してきた部分があったんです。闘っているときにそんな余裕はないんだけど、無意識の中の駆け引きとでもいうのか、俺は本能的に相手の得意技をまず受けてしまう。それが結果的に相手のいい部分を引き出しているんだけど、ファンにしてみればもっと簡単に勝ってくれた方が気持ちいいという感情もあるのかもしれない。でも、闘いの駆け引きとしても、自分の得意技で決まらなかったときは精神的にかなりダメージを受けるものなんです。そうなると人間というのはガーッと力が落ちてしまう。もう何をしていいのかわからなくなって精神的にも混乱が起きるんですよ。


【ブリッジでバランスを崩し、柔軟性を利用して関節技を外す】


猪木 若手の頃、よく大坪さんとスパーリングをやったんだけど、あの人は非常に技が切れる人で、ヘッドロックや巻き投げの後、必ずかける関節技があったんです。どういう名前の技だったかは忘れたんだけど、その技が入ると絶対に誰も逃げられない。必ずギブアップを取れた技なんですよ。ところがそれを、俺がブリッジから柔らかく体を捻って脱出したからもう悔しがって……。


──ルスカの腕ひしぎががっちり入ったときも、見事にブリッジで返していました。


猪木 ブリッジっていうのはすごく脚が強くないとできないんです。結局、その力で相手のバランスも崩すんですが、関節技というのは少しでもバランスが崩れたりすると外れてしまうんです。あの頃はまだそんなに体を痛めてなかったから、俺も強いブリッジができたんですよ。

〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉




# by leicacontax | 2022-11-09 07:38 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)

現実は精巧に造られた夢である。〈長谷川りん二郎の言葉〉


by leicacontax