極私的アントニオ猪木論「イノキの穴」
2006年 02月 17日
ふと、思いだして読み返してみたら面白かったもので(笑)。
《極私的アントニオ猪木論「イノキの穴」》
「マルコビッチの穴」という映画を御存知だろうか。
ある場所にマルコビッチという俳優の頭の中に通じる秘密の抜け穴があり、そこに入れば、誰でも15分間だけマルコビッチの見ている世界を覗き見できるという不思議な映画だ。
この映画の主人公は、その禁断の魅力に取り憑かれ、最後には、穴から抜けられなくってしまうというストーリー。一時期までの私と猪木の関係は、この映画の主人公とマルコビッチに似ていた。
いうまでもなく、マルコビッチはアントニオ猪木。確かに、私は「イノキの穴」に入り込み、アントニオ猪木のすべてを知ろうとした。
私が猪木に初めて会ったのは、あの猪木スキャンダルが尾を引き、2度目の参院選に落選した直後のことだ。猪木を訪ねた目的は、いつの間にかうやむやになってしまったスキャンダルの真相を本人の口から聞き出し、それを本にすることにあった。
といっても、当時、私はマスコミの人間ではなく、編集経験も、ライターとしての実績もない——バブルの栄光と没落を経験し、10年間勤めた広告制作会社を辞め、知人の経営する編集プロダクションでのアルバイトで糊口をしのぐ——無力なフリーターに過ぎなかった。
その頃、私はすべてに自信を喪失していた。どん底だった。
しかし、自由を取り戻したことで、しばらく心の奥底にしまっていた、20年来の猪木への思いが再燃。虚ろで不安だらけの自分の姿と、議員バッジを失って呆然と立ち尽くしている猪木の姿を勝手に心の中で重ね合わせ、このまま終わってたまるか! と、怒りと悔しさだけを原動力に一冊の本の企画書をしたため〝迷わず行けよ、行けばわかる〟と呪文のように唱えながら、未知の世界に踏み出していた。武器は、根拠のないただの思い込み。実のところ、出版社も決まらないままの見切り発車だった。
どこの馬の骨かもわからない私の質問に、猪木は真摯に、正直に胸の内をさらけだしてくれた。猪木が何を訊かれたがっているのか、なぜだか手に取るようにわかった。インタビューが進むほどに、猪木の表情も、憑き物が落ちたように晴れやかになっていった。
その本(闘魂転生〜激白裏猪木史の真実/KKベストセラーズ)は幸運なことに3ヵ月後に出版され、好調なセールスを記録した。私のもとには、立て続けに猪木に関する書籍の編集や執筆依頼が舞い込むようになった。
「イノキの穴」に没頭することが、私の新しい仕事になった。
折しも、政界からプロレス界に帰った猪木を待ち受けていたのは、格闘技によるプロレスへの侵略と破壊だった。だが、私には、かつて自分が熱狂した猪木のプロレスには、揺るぎない格闘技の礎があるという確信が以前からあった。格闘技から吹く逆風が日増しに強まる中、私は、今こそ格闘家・猪木の実像を確かめる時だと直感した。
私は猪木の過去の名勝負といわれる、ほとんどの試合のビデオ分析に取りかかった。確信が思い込みではないことを確かめるためだ。
ビデオは1フレーム(30分の1秒)単位まで分析……60分フルタイムの試合=10万8000フレームの分析には1週間を費やした。万里の長城に積み上げられた石を、ひとつひとつ数えていくような果てしない作業。だが、新鮮な発見の連続だった。
ミクロ単位まで拡大して初めて見えた猪木プロレスの核心は、シビアな格闘技の技術と駆け引きそのもの。微妙な体重移動を使ったボディコントロール。柔らかい足首のフックを巧みに用いた攻撃と防御のテクニック。死角をついた急所攻撃の裏技……。
さらに、私は、山本小鉄、藤原喜明、佐山聡、石澤常光といった歴代のスパーリングパートナーを訪ね歩き、猪木がスパーリングで使っていた「極め技」について証言を求めた。実際に、猪木には道場でスパーリングも見せてもらった。そして、明らかになった猪木の真の極め技は……「フィギアフォー・ボディーシザース」という、拍子抜けするほど単純な技であった。
私は誰も知らない猪木の秘密を探り当てたような気がして、しばらく興奮がさめなかった(余談だが、後年、PRIDEでノゲイラがタフなヒーリングをボディーシザースで失神寸前まで追い詰めた場面を見て、その時の感激と興奮を思い出した。ノゲイラの足首のフックは、実に猪木そっくりだったのだ)。
その頃である。猪木が「ファイティング・アーツ」という言葉や格闘技への回帰を口にし始めたのは。私は、内心、自分が猪木に影響を与えているキーパーソンになったような気がして面映かった。しばらくして、猪木事務所からUFO(世界格闘技連盟)の基本コンセプト作りの依頼を受けるに至っては、自分が猪木そのものになったような全能感さえ抱いた。だが、それは錯覚だった。UFOは旗揚げから迷走。そして私は「イノキの穴」の入り口を封印。猪木とは違う、自分だけが歩むべき道の模索を始めた。
それから3年半——つい最近、猪木に再会した。
初めての小説を上梓したことを報告すると、
「行くべきところに行ったわけだねえ」——あの人なつこい笑顔を向けられた。
その時、私は、やっと本当に自由になれたのだと思った。
「マルコビッチの穴」の主人公は、いつしかマルコビッチ自身になり代わりたい欲望にかられ、そしてそれを実行した。しかし、結局、彼は他人の頭の中で、身動きひとつとれない囚われの身となって映画は終わる。
「イノキの穴」も同じだ。そう、一度でもその穴を覗いた者は、必ず自分を捨てて猪木になり代わりたいという妄想に支配されてしまう。思い起こせば、猪木にはそんな人間たちが群がり、そしていつも消えていった……。
私は「イノキの穴」から生還した。(文中敬称略)■
そしてさらに4年……再び、私は同じ思いを味わっています。
>イノキの穴
この本が出た頃から新日はヤバイと言われ続けてますが、未だ生延びてますね(^^;
上記の原稿はこの書籍の中で特に印象に残ってます。
木村さんの猪木論・・・どんな形でも良いのでこれからもお聞かせください。
木村さんのブログが引き続き読めるということで感激です。
上記の木村さんの著作を読んで猪木さんの極め技がボディシザースと知ってから面白いことが二つありました。
一つは猪木さんが引退する直前にK1の角田選手と公開スパーリングを行ったときマサ斉藤さんが解説で「ほら見ててください、これでねぇお腹極めちゃうんですよ、これが物凄く痛いんですよ」と云うようなことを言ってました。木村さんの本を読んでたので思わずニンヤリとしてしまいました。
二つ目はアニメタイガーマスクをたまたま何かの機会で見てたらタイガーの虎の穴の後輩レスラーが試合で日本プロレス諸先輩の技を披露していて猪木さんの技として卍でもジャーマンでもなくボディシザースを使ってました。梶原一騎恐るべし・・・(またはアニメスタッフか?)
それでは今後も期待してます!
「イノキの穴」憶えていてくれたのですね。嬉しいです。
出版の世界というのは案外一方通行なもので、自分の書いたものが読者に届いているのかどうか、あまり実感がないものなのです。
ボディシザースについては拙著「闘魂戦記」のインタビューの中で佐山聡さん、藤原喜明さんが証言してくれています。
まだこのブログページの操作方法がよくのみこめていないのですが、ライフログに私の編著作のデータをUPしました。
もう古い本なのでほとんど絶版になっていますが、もし、手に取る機会がありましたら目を通していただければ幸いです。
いろいろあってしばらく本を出していません。ライター業も休んでいたので今年は本格的にリスタートしたいと思っています。
活動状況についても、おいおいここでお知らせします。
よろしくお願いします!
石川選手曰く「割り箸に挟まれたような」・・・見た目にも強烈そうであっという間にタップしていたのが思い出されます。
もうひとつ猪木さんの地味だけど強烈そうな技としてクロスネックロックも印象的でした。
あのロビンソンやボックですらピタリと動きが止められていました。
この技については何か証言は無かったのでしょうか?
「俺たちレスラーは普段から首絞めはあんまり練習しねえんだ。なぜかと言うと、首を絞めるなんていうのは技として単純すぎんだよ! 実際、フェースロックで顔面のツボを極める方が難しいし高等テクニックだからよ、そっちの方の練習をしてたんだ。猪木さんのチョークスリーパーはそのテクニックの応用。首は極める箇所が限られているから、フェースロックが使いこなせればやれるんだよ」(藤原喜明談〜闘魂戦記より)
ゴッチ流の裏技(いわゆるキャッチにおけるシュート技)もそのほとんどは手首や拳の関節を使うものだったそうです。しかし、猪木さんはこんなことも言っていました。
「俺たちが身に付けたそういう技術は素手が前提だから、残念ながらいまのグローブを着けてやる総合の試合では使えないんだ」
総合格闘技とプロレスにおけるシュートの世界は、実は似て非なるもの。同じ様なことを佐山さんと藤田選手も言っていました。
また気軽にいらしてください(笑)。
昨今、プロレスファン、格闘技ファンのいずれもアントニオ猪木を否定する風潮がありますが、これだけは言えます。アントニオ猪木を知れば、プロレスも格闘技も深く理解できる。スキャンダラスな生き方ゆえ、アントニオ猪木ほど否定が簡単な人物もいないのですが(笑)。
行けばわかる、と、ただ情熱といい知れない怒りのようなエネルギーだけでアントニオ猪木に挑んだ向こう見ずな本でしたが、この2冊は猪木イズム探究の手がかりを記す役割は果たせたのではないかと自負しています。
しかしながら、それからの10年という歳月が証明した現時点における結論は・・・猪木イズムは一代限り。何人にも継承不能であるという哀しい現実でした。それは裏返せば、アントニオ猪木という稀代の天才と同時代に生きられた幸福を意味するのですが・・・プロレス、格闘技のいずれも、昨今、ますます猪木と程遠いものになっていくのを見るのは辛いものがあります。
しかし、天才が並び立たないのは世の常。私はアントニオ猪木と佐山聡の2大天才からたくさんの話を聞けた幸運に預かれたので、個人的にはいい思い出なのですが・・・。佐山さんのプラン通りに事が運んでいたら、いまの格闘技界の勢力図はがらりと変わっていた。それだけは間違いありません。
最強論はともかくとして、猪木さん本人がインタビューのときにおっしゃっていましたが、格闘技は藤原喜明、佐山聡、前田日明という猪木直系の弟子達の存在なくして隆盛はあり得なかった。主義主張や方法論は異なっても、猪木を原点にしていたからこそ、彼らは格闘技に傾倒していった。猪木の存在がなかったら、日本の格闘技、いや、世界の格闘技の歴史は違っていたでしょう。グレイシー一族のアルティメット大会という戦略も、元を正せば猪木・アリ戦ですからね。
アントニオ猪木を知ることは決して懐古趣味ではありません。それは格闘技の歴史であり、猪木こそが最大の生き証人なのです。
クリチコは兄(ビタリ)? 弟(ウラジミール)? いずれにしても強いですが(笑)。そういえば、昔、ロシア(旧ソ連)から初めてプロ格闘家(プロレスラー、プロボクサー)を誕生させたのも猪木さんでした。猪木さんの行動が必ず未来を予見していたことは、いまふりかえればよくわかります。

