モーレツ! 大人計画まつり〜その3『真夜中の弥次さん喜多さん』
2006年 09月 17日
モーレツ! 大人計画まつり〜その3は宮藤官九郎初監督映画『真夜中の弥次さん喜多さん』。原作は、しりあがり寿のコミック。原作を読んでいないので比較はできないが、おそらく、映画全体のシュールなトーンは基本的にそこからの引用なのだろう。ワイルドで男らしい弥次さん(長瀬智也)とヤク中の喜多さん(中村七之助)。二人は愛し合うホモのカップル。物語の前半は喜多さんのヤク中を治すための伊勢参りの道行きを描いていて、往年の歌謡ミュージカル調プログラムピクチャーのテイスト(プログラム・ピクチャーとは、1952年〈昭和27年〉から1971年〈昭和46年〉にかけて量産された作品を指す。当時は東映、東宝、松竹、大映、日活の5社がほぼ毎週、自社系列の映画館で新作映画を上映していた時代。とにかく番組〈プログラム〉を埋めなくてはならず、いかに安く、手早く撮れるかが重視された。そのため、チャンバラ、ヤクザ、コメディ、アクション、または当時の人気スター、歌手を主役にした青春映画といったジャンルの中で、ある程度のパターンが決まっているストーリーが多かった/佐々部清監督作品『カーテンコール』公式サイトより解説引用http://www.curtaincall-movie.jp/special1/index.html)。内容が難解との評をネットでしばしば見かけていたが、それはパターン化されたハリウッド映画にすっかり馴らされてしまい、保守的な映画の見方しかできなくなってしまった人達の意見だ。といって斬新な映画かといえばそうでもない。この映画に関していえば、古き佳き日本映画のおおらかさ(本筋とは無関係に受け狙いの脱線を連発)をイマ風なゆるいおふざけ感覚に置き換えただけで、そう目新しいつくりではない。そもそも大人計画や宮藤官九郎がいま受けているのは、そういった余白の使い方=はみだし方の面白さであり、宮藤官九郎が昔ながらの〝道中もの〟を初監督映画の題材に選んだのは当然の成り行きだったように思う。ヤク中の喜多さんの見る幻想は、そのまま映画のヴィジュアル的な見せ場でもある。私は基本的にCGによるこけおどし映像が好きではないが、この映画ではそれが逆に効果的に使いこなされている。そのあたりのしたたかな計算力も、宮藤官九郎の非凡な才能のゆえんだ。
ただし、その薬物中毒患者の悪夢というもうひとつのテーマが、どうしても話を陰惨にしてしまい、そのあたりが好みの分かれるところだろう。「おいらリアル(現実)ってもんがわからねえ」が喜多さんの口癖。しかし、演じる中村七之助の演技は寒気がするくらいリアル。笑いと残酷な現実のダイナミックな対比は宮藤官九郎が物語のクライマックスでしばしば見せる常套手段。それがいつも楽しいだけではすまされない人生の哀しみを表し、物語に濃い陰影を与えているのだが、この映画でも後半、その手法は遺憾なく発揮されている。私は前半のスチャラカなノリより、そんな後半の方が断然好きだ。細かいことを書くとネタバレになってしまうので詳細は省くが、最後、弥次さん(長瀬智也)の女房を演じた小池栄子がとてもよかった。
(2005年/宮藤官九郎監督作品/長瀬智也、中村七之助、小池栄子ほか)

