アントニオ猪木が語る“レジェンドレスラー” (20)アンドレ・ザ・ジャイアント
2022年 10月 18日
【大巨人アンドレの密かな欲望】
──猪木さんが1976年10月7日・蔵前国技館でアンドレ・ザ・ジャイアントと『格闘技世界一決定戦』を行ったのはなぜですか? あれはあくまで〝プロレス界最強の男〟こそが格闘技界の頂点に相応しいという宣言だったと理解すればいいのでしょうか。
猪木 というよりも、あれはもうレスラーじゃなかったでしょう(笑)。
──たしかに。アンドレ選手はすべてにおいて規格外。超越した存在でした。
猪木 超えちゃってたから、ある意味でアンドレとの闘いは異種格闘技戦だったんですよ。それにあの頃はアンドレがピークに達していた時期で、向こうも「絶対負けたくない」というプライドを前面に出してたし、とにかくエネルギーが満ち溢れてました。自分の闘いのスタイルにもこだわりを持ってて、相手を自分の色に染めようという欲求も強かった。だから、俺ともぶつかり合ったし、レスラー同士だから負けても次があるという安易な感覚もなかったんですよ。
──なるほど。この時期の猪木・アンドレ戦に面白い試合が多かったのはそういう訳だったんですね。
猪木 闘っていて火花が散る感覚というか、そういうスピリットみたいなものを出せる相手でした。それに、当時の新日本はグラウンドで渋い切り返しをやるプロレスのスタイルがなかなかお客に伝わらないもどかしさもあってね。そういう意味でもデカいアンドレとがんがんやり合って、互いに「この野郎、やるじゃないか!」って試合をエスカレートさせていくのが面白かったんですね。
──と言いながら、アンドレとの『格闘技世界一決定戦』は、意外にもハイレベルなグラウンドの展開も見られた一戦でした。アンドレが非常に器用に猪木さんの足をトーホールドに極めたり、太すぎる腕で変型のスリーパーで絞めたり……。ああいった技の応酬も互いに意図した試合の組立だったんでしょうか?
猪木 格闘家であればね、少なからずそういうものにも興味があるはずなんですよ。アンドレの場合、アメリカじゃいつも2人を相手にしたり、いわゆるあのデカさと強さを見せ物にする試合ばかりで。相手のレスラーもあんなのに一発を食らうのは嫌だから、闘うより持ち上げることだけを狙ったりする。アンドレだって勝ち負けだけじゃない満足感を得られる闘いがしたいという欲求はあったんですよ。
──アンドレはレスリングが好きだったんですか?
猪木 そうですね。最初は国際プロレスに来てカール・ゴッチやビル・ロビンソンとやってましたから、そこでいろんなテクニックを覚えたんじゃないかな。
──それでも、実際にああいう試合をした相手は猪木さんだけだったのでは?
猪木 でしょうね。一度、坂口(征二)も得意の一本背負いを仕掛けて反対に吹っ飛ばされて自分からマットに首を突っ込んだことがあった。アンドレは頭もいいし感性も鋭くて、技術以外にプロレスの芸術性みたいな部分にも気づいてましたね。ニューヨーク(現WWE)に行ってからスタイルが変わってきたんだけど、新日本に来たときはちゃんと使い分けてましたよ。
──ニューヨークでスーパースターになってからは完全にアメリカンスタイルに変貌してしまった印象でした。それはアンドレの内なる〝レスラーとしてのプライド〟より〝マット界での成功者としてのプライド〟が勝ってしまった結果だったんでしょうか?
猪木 アンドレはつねに努力してましたけど、やはり安住の地に落ち着いてしまったんじゃないかな。でも、それは自然なことであってけっして悪いことじゃありませんから。むしろ、いつまでも自分を追い込んでいる俺の方が特異なんでしょうね。
【元々、大量のアルコール摂取の目的はさらなる〝巨大化〟だった】
──アンドレは陰でどんな努力やセルフコントロールをしていたんですか?
猪木 一時期、アンドレは暇があると早足で街を歩き回ってましたね。それがきっと彼流の足腰のトレーニングだったんだと思います。あの体を支えるには足腰の筋肉を相当鍛えておかないといけなかったし、もっと横にも大きくなろうと一生懸命でした。
──あの巨体(身長223㎝/全盛期の体重236kg)をさらに大きくしようと!? いったいどんな方法で?
猪木 元々アンドレは酒を飲まなかったんですよ。
──意外です。そうだったんですか?
猪木 体を横にデカくするにはビールがいいとガブガブ飲むようになって、それであの体だからどんどん量が増えていって。で、ビールの飲み過ぎは健康によくないとワインに切り替えたんだけど、そのワインも栄養価が高すぎるとウイスキーに替えて(笑)。アンドレは食通でもあったからなかなかうるさかったんですよ。それでもね、はじめは体を大きくするために飲み始めた酒が次第に孤独を紛らす酒に変わって……。人間は誰しも、俺にもその寂しさはあるんだけど、アンドレはアルコールの深みにハマって最後にはコントロールできなくなってしまったんだね。
──それが結果としてアンドレの死期も早めた……。(註/1993年1月27日、パリ市内のホテルで死去。享年46。死因の急性心不全は長年の過度の飲酒習慣が招いたといわれている)
猪木 彼の死に方って花が散るような感じだったね。俺はああいう生き方はしたいと思わないけど、アンドレの場合はあのまま生き続けることの方が不幸だったかもしれない。だから、案外、あれでよかったのかもしれないね……。
〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉

