アントニオ猪木が語る“異種格闘技戦の原点”
2022年 10月 11日
【異種格闘技戦の原点は米国修業時代にあった】
──一度伺いたかったのですが、猪木さんはいつ頃から異種格闘技戦に関心を持たれていたんでしょうか?
猪木 アメリカでは〝ミックスマッチ〟といって、昔からボクサーとレスラーの他流試合が興行として結構行われてたんです。ただ、大体が引退間際もしくは引退したボクサーの小遣い稼ぎみたいなもので、俺の修業時代にもアーチ・ムーア(1916〜1998/現WBA認定の元世界ライトヘビー級チャンピオン)っていう有名なヘビー級ボクサーが巡業に参加してましたね。まあ、やっぱり本当の異種格闘技戦ではなかったんですが。
──猪木さんも米国遠征中(1964年4月から1966年4月)にそのミックスマッチを経験されたんですか?
猪木 ミックスマッチはなかったけど、テネシーに遠征してるとき、ほらいるでしょう? ツナギを着た力自慢のアメリカ人。生まれてこのかた飛行機も見たことない原始人みたいな奴が会場に来て、いきなりレスラーに挑戦してくることがよくあったんですよ。
──原始人!(笑)
猪木 そういう未知の相手はなにをしてくるかわからなくて怖いですから、通常、レスラーは相手にしないんです。でも、たまたま遭遇してしまったんで。力だけは滅法強くて振り回されましたが、頭にきたんでメチャメチャぶん殴ってやっつけちゃいました(笑)。考えてみれば、あれはアルティメット(総合格闘技)でしたね。意識してなかったけど、あれが最初の異種格闘技戦だったんじゃないかな。
──日本プロレス時代、道場破りと対戦したことは?
猪木 力道山時代、沖縄で空手に挑戦されたり、タイでキックボクサーに挑戦されたことはありました。結局、誰も試合会場に現れなかったんだけど。道場破りが来るようになったのは新日本になってから。みんな藤原(喜明)たちが痛めつけてたようです(笑)。他はブラジルでイワン・ゴメス(1939〜1990/グレイシー一族にも一目置かれたバーリトゥード・ファイター)に挑戦されたくらいかな。
【究極の闘いになれば本当に使える武器は幾つもない】
──1976年以降、本格的に異種格闘技戦に取り組むようになったのはどういう理由からですか?
猪木 モハメド・アリへの挑戦がきっかけではあったんだけど、ちょうど俺が異種格闘技戦をやろうと思い立った頃、プロレスはマスコミの隅の方に追いやられていたんです。人気はあったのにスポーツ新聞にも完全に無視されていた。そういうこともあって「世の中に何かショックを与えてやりたい!」という思いがあった。でも、柔道金メダリストのルスカとやることが決まったときだって、こっちからニュースを流してもまったく無視されてね。海外から外電の形で入ってきて、ようやくころっと態度が変わったんですよ。
──未知の領域に対する恐怖はなかった?
猪木 実は昭和39年(1964)にボクサーになろうと決意して、少しだけどトレーニングを積んだ経験もあったんでプロレス以外の格闘技に偏見はなかったんですよ。自分の気持ちの上ではボーダレスというか、もともと未知のモノに対する恐怖心は薄かった。一方で、矛盾するようだけどレスラーとしての自分にもの凄くプライドを持っていて自信があったんです。
──なるほど。実際、異種格闘技戦におけるアントニオ猪木の闘い方はプロレスそのものでした。当然、打撃系格闘技には打撃技術を研究した上で試合に臨んでいるわけですが、あくまでプロレスの流儀で闘ってやるという決意みたいなものも伝わってきました。
猪木 本当に実力が拮抗した者同士の闘いになると、異種格闘技戦でなくても戦術はおのずと限られてくる。自分の最大の武器はそう幾つもあるわけじゃないんです。それにキックの専門家にキックで立ち向かえば相手にハンデを与えるようなもの。キックボクサーにキックでも勝つというのは格闘の夢としてはわかるけど、現実にはそうはいかない。結局、自分の持っているモノで勝負するしかないんです。
──実際に異種格闘技戦をやってみて、プロレスが他の格闘技よりあきらかに勝っていると確信できた点があれば聞かせてください。
猪木 やっぱり総合力になるかな。立ってよし、寝てよし、組んでよしということでね。アルティメットを見てもわかるように、ある程度フリーなルールの闘いになった場合、レスラーが相手を本当に仕留められる技は〝絞める〟か〝逆(関節)を取る〟しかないんです。ボクサーのパンチも、正確な距離で当ててはじめて威力があるのであってそんなに簡単に相手は倒せない。そういう意味において、究極、レスラーがいちばん強いかなと。でも、「こいつがレスラー?」っていう奴もいるわけで……。まあ、ピンからキリまでいますから一概にそうも言えないんだけどね。
〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉

