アントニオ猪木が語る“レジェンドレスラー” (19)長州力
2022年 10月 10日
【〝咬ませ犬〟発言は作為的必然】
──実力は認められながらも中堅レスラーという位置付けに甘んじていた長州力が一気に弾けるきっかけとなった「俺はお前の咬ませ犬じゃない!」発言について(註/1982年10月8日、後楽園ホールで行われたアントニオ猪木・藤波辰巳・長州力vsアブドーラ・ザ・ブッチャー、バッドニュース・アレン、スペシャル・デリバリー・ジョーンズの6人タッグ戦の際に勃発した長州の反乱劇)。突如、長州が発した下克上発言とその後の行動を、当時、猪木さんはどう感じていたのか聞かせてください。
猪木 いまだから言えるんだけど、あれは長州の個性を伸ばすための仕掛けというか……。本人が気づいていたのかどうかはわからないけど。
──と言いますと?
猪木 リングの上で選手は先輩も後輩もなく毎日のように闘っているわけです。といって、みんな同じ新日本プロレスという組織の一員同士ですからそこには恨みも何もない。したがって、そこに感情の爆発を伴うような闘いはないんだよね。でも、観客の心を揺さぶるのはそういう闘いでしょう。
──つまり、長州選手がああいった過激な行動を取らざるを得なくなるまで、何らかのプレッシャーをかけて猪木さんが追い込んだ…。あの暴発は必然だったということですか?
猪木 そうですね。作為的必然とでもいうか。観る側にそれが単に唐突な出来事ではなく必然の流れだと納得させるためには、当事者たちも気づかないうちにコントロールするようなことも必要なんですよ。これはプロレスに限らずプロスポーツ全般に共通するシステムのようなもので、そのうち仕掛けた側の思惑とは無関係にドラマが一人歩きしてエスカレートしていくわけです。そういう仕掛けの存在に気づいて恨みのような感情を抱いて反発する者もいますが、それだってエネルギーに違いない。でも、最終的には行動を起こして流れに乗れるかどうかは本人次第なんですよ。
【好敵手に恵まれなければ個性は確立しない】
──いまの話が事実なら、アントニオ猪木の後継者を自認していた藤波選手は相当ショックだったんじゃないでしょうか。
猪木 そうでしょうね。でも、あのまま何もなく先に進んでいたとしたら、長州はもちろん藤波も個性化しないまま終わってしまったんじゃないかと思いますよ。ジャンボ鶴田みたいに。
──結果として藤波辰巳(辰爾)というレスラーは長州力の踏み台にされてしまったわけですが、両者の運命を分けたのは何だったんですか?
猪木 一歩踏み出す勇気。若いうちはいろんなことに対して割と躊躇なく踏み出せるのに、ある年齢に達するとそれができなくなるんです。一般常識に当てはめればそれは普通のことなんだけど、要するにつねに藤波も優等生だったというか。たぶん、藤波自身、そうありたいと考えていたんでしょうが、その点、長州はあのときをきっかけに自分の生き方をがらっと変えた。俺に対する恨みのようなものもあったんだろうけど全部吹っ切ってしまった。そういった荒々しさのようなものもプロレスラーの中から消えつつあった時代でしたから、長州の行動は余計にファンの眼に新鮮に映ったんじゃないかな。
──しかし、あの頃の藤波選手に対し、猪木さんもとくに不満はなかったのでは?
猪木 そうですね。文句はなかったです。ただ残念ながら体力的な問題があったから……。ジュニアヘビーとしては申し分ないどころか出来過ぎだったんだけど、ヘビー級に転向してウエイトも増えてからはファイトスタイルも変えざるを得なくなってしまった。本人も相当苦しんでいたと思います。
──ということは、長州力の反乱劇は藤波辰巳にとっても現状を打破するチャンスだった。
猪木 ライバルが必要だったのはたしかでしょう。実際、あの二人はどちらが欠けても現在の姿はなかったんじゃないですか。
──猪木さんは藤波選手と長州選手は本来どんな関係だと理解していたんですか?
猪木 俺なんかには計り知れない部分はあるでしょうね。ちょうどこの間、韓国のテレビ局が取材に来て「大木金太郎さんをどう思いますか?」といったインタビューを受けて。「いろんなことがあったけど、本質的な人間関係に立ち返ってみれば兄貴のような存在であり、また親友でした」と、そんなふうに答えたんです。それはジャイアント馬場さんについても本当は同じでね。よく「馬場さんとは最初から仲が悪かったんですか?」って聞かれるけど、喧嘩なんかしたこともなかった。でも、馬場さんとはビジネスのやり方や生き方が正反対だっただけで、それについては俺も厳しいことを言ってきましたが。まあ、本当のライバル関係というのは、傍目からはそう簡単に理解できないものかもしれませんね。
〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉

