【プロモーターとしてデスマッチを否定することはできなかった】
──ラッシャー木村は、ともすればアントニオ猪木のライバル史において埋もれがちな存在ですが、実は興味深い試合が多いんですね。その中でも“ランバージャック・デスマッチ”と“1vs.3変則マッチ”はひときわ異彩を放っています。これらの試合について伺いたいと思います。まず、ランバージャック・デスマッチ。T・Jシンともこの形式で闘っていますが、猪木さんはランバージャック・デスマッチについてはどんな考えを持っていたんですか?
猪木「たしかにストロングスタイルのプロレスにこだわった時期もあったんだけど、プロモーターとしてはデスマッチも否定しきれなかった。その辺のことはアメリカ修業時代に学んだんですが」
──興行面における集客効果ですね。
猪木「アメリカでは日本のようにプロモーターが地方巡業を行うことはなくて、大抵の場合、各州ごとに地元のプロモーターがいて固定した興行をやっているんですよ。レスラーは全米のそういうプロモーターのエリアを次々にまわって試合をしていく。そこでファンに受け入れられてプロモーターに評価されれば、スターとしてある期間定着することができる。だけどほとんどの場合、レスラーは次々に入れ替わっていくんです。
──人気が出なければすぐにお払い箱になると。
猪木「人気が出てスターになったとしても、どんどん新しいスターも生まれてくるわけだから、当然、そこにサイクルが生まれる。そのサイクルをうまく使いこなすのがプロモーターの才覚なんですよ。1人のスターが誕生すると、今いるスターと闘わせて因縁のストーリーみたいなものを作る。そうするとどんどん新しいファンもついて動員が増えていく。それをプロレス業界では俗に“ハウスがアップする”と言うんです。そのハウスがアップした状態のピークと思われるところで、プロモーターは最終決着戦を用意するわけです」
──その決着戦をもっとも盛り上げる試合形式がデスマッチなんですね
猪木「そう、それでその闘いに敗れるとそのテリトリーを出ていかなければならないみたいな条件も追加される。そうなるとそれぞれのレスラーについているファンは絶対に見に来ますよね。そこで向こうのプロモーターは頭がいいというか狡賢いというか、その最終決着戦では“プライスアップ・マッチ”といっていつもの倍の料金を取るんです(笑)」
──非常に商売上手(笑)。でも、そうやってそれまでと同じマッチメイクでも巧みに付加価値をつけてきたわけですね。
猪木「今ではデスマッチそのものが売りになってる場合が多いけど、本来はそこに至るまでいかに盛り上げて価値を上げていくか、必然の流れを作り出すことの方に意味があったんですよ」
──つまり、本来、デスマッチは好敵手同士が雌雄を決するための闘いであり、決して残酷さを売りにする試合形式ではなかったんですね。となると、リングの周りを他のレスラーたちが取り囲んでどちらか一方が戦意を喪失するまで闘わせるという“ランバージャック・デスマッチ”もだいぶイメージが変わってきますね。
猪木「アメリカの西部劇の中にもよく同じようなケンカのシーンが出てくるでしょう? 荒っぽいけどいかにもアメリカ的というか、逃げ場をなくしてとことん闘わせて決着をつけるというやり方はむしろ健康的じゃないかと俺も思うね」
──しかしながら、猪木さんとラッシャー木村のランバージャック・デスマッチではそういった西部劇ライクな潔さより陰惨さがかなり勝っていた印象があります。
猪木「SMチックというか…(笑)」
──はい。ラッシャー木村に対する猪木さんのケンカファイトはサディスティックそのものでした。どうしてあそこまで痛めつけなければならなかったのか? その理由を聞かせてください。
猪木「ファンの心の中にアントニオ猪木が絶対的ヒーローとして定着したのはあの頃だったような気がするんですよ。誰かの言葉じゃないけど『アントニオ猪木なら何をやっても許される』みたいなね。実際、反則も俺の方がやってたかもしれない(笑)。でも、それが全部許されるキャラクターが出来上がった頃だったんじゃないかな。それにプラス、イジメの心理みたいなものもあったかもしれない」
──なるほど。いかにも人が良さそうでまったくヒールに不向きなラッシャー木村と対戦しているうち、次第にサディスティックな感情に火が点いてそれを抑えきれなくなってしまった。結果、絶対的ヒーローであるアントニオ猪木の闇の部分が顔を覗かせてしまったわけですね。
猪木「そういう部分はたしかにあったと思いますね」
【プロレスラーには相手のすべてを踏みにじる非情さも必要】
──国際プロレス軍団(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)との“1vs.3変則マッチ”について伺います。それまで猪木さんはこの種の特殊なハンディキャップマッチを経験したことはあったんですか?
猪木「ハンディキャップマッチっていうのはなかったね。俺はそういうキャラクターじゃなかったから。ただ、あれをやった頃というのは、もう何も怖くないくらいの時期だったんですよ」
──1対3でも勝てると思うほど自信に溢れていたと?
猪木「普通に考えれば3人を相手にして勝てるわけがないんだけど、実際にリング内で闘うときは1対1。あの頃は次から次へ10人続けてスパーリングしても平気なくらいスタミナに自信があったからね」
──すると猪木さんには周りが言うほど無謀なカードだという意識はなかったんですね。一方、この変則マッチには、猪木さんが3人のレスラーのプライドをズタズタにした試合だという批判もありました…。
猪木「最大の侮辱だと受け止めたでしょう。でも、ある意味、俺にとっては快感だった。プロレスっていうのは思いやりばかりでもやっていけない。ときには徹底的に相手のすべてを踏みにじることも必要なんですよ。そうでないとアントニオ猪木というキャラクターがマンネリ化してつまらなくなってしまう。それに判官贔屓でラッシャー木村のファンだって熱くなったでしょう」
──国際軍団との1vs.3変則マッチは再戦も行われましたが、満足感は得られましたか?
猪木「どっちかの試合では痛めた足をしつこく攻められて感覚が麻痺して…。でも、それが結構快感でね(笑)。今でいうところのベータエンドルフィン(苦痛を和らげるために分泌される脳内物質)がずいぶん出ている状態だったんじゃないかな」
──プライドを踏みにじられた3人の怒りが跳ね返ってきた分、猪木さんも自分を極限まで追い込んで闘うことができたんですね。
猪木「そうかもしれない。きっと、勝ち負けとは別の冒険を楽しんでいたんでしょうね」
〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉