【ルスカは俺よりも多分強かったと思う】
──プロ転向後のウイリエム・ルスカをどう見ていましたか? 猪木さんとの試合はいずれもいい試合でしたが、他にはこれといった名勝負を残せずに終わってしまいましたが。
猪木「俺自身はね、最初の闘いの感動がいつまでも体に残ってたんで、ルスカとならいつでも心地良い勝負ができたんです。おそらくはルスカも同じだったと思いますよ。ただ、俺以外にこれといったライバルを作れなかったことが彼の不幸で…。相手によって技術というのは高まることもあれば低下することもありますから」
──ルスカは柔道家のプライドが高過ぎた? プロレスを舐めていたのでは?
猪木「いや、そんなことはないですね。とても真面目に取り組んでいたし、ただ、強いだけじゃ大成しないというプロレスの難しさを克服できなかったんですよ。もしかすると、プロレスラーではなく、いまのような“格闘技ファイター”としてプロに転向してたら、ルスカは成功したかもしれないですね」
──ただ、それには時代が早過ぎた。
猪木「そうですね。一昔前に今のような格闘技ブーム(註/このインタビューが行われたのは1996年)が起こっていればタイミングも合ったんでしょうけど、20年前では早過ぎましたよ。あの時点では、ルスカも苦手な枠の中に自分を嵌め込まなければならなかったわけですから、結構しんどかったんじゃないですか」
──結局、ルスカは猪木さんに一度も勝てなかった。それはなぜなんでしょう?
猪木「ルスカは俺よりも多分強かったと思います。クリス・ドールマンと一緒に練習してましたから関節技もよく知ってたし。ジャケット1枚身に着けてたら、絶対にルスカには勝てなかった。俺が負けなかったのはあくまで裸で闘うレスリングだったからでね。
俺がヨーロッパに行ったとき、ルスカがウィルフレッド・ディートリッヒというアマレス史上に残るスープレックスの達人とスパーリングをしたのを見たんですよ。実はルスカはアマレスでもチャンピオンだったんですが、手先ひとつであしらわれてまるで大人と子供でした。ルスカにとって裸で闘うというのはかなり不利な条件だったわけです。
逆に俺がそのディートリッヒと試合で対戦したときには、今度はディートリッヒがパンチやキックに対してまるで無防備で大人と子供。だから、条件によって誰が勝つかは変わってくるんですよ」
【不遇の天才格闘家】
──テレビの格闘技番組でルスカの近況が紹介されてたのですが、そのVTR中に興味深いシーンがありました。レポーターがルスカの自宅を訪問したところ、居間にある煉瓦造りの暖炉に金メダルが無造作に埋め込まれてたんです。不思議に思ったレポーターが「なんで大切な金メダルをこんなふうに扱うのか?」と訊ねると、ルスカは「金メダルは俺に何もしてくれなかった」と答えた。その一言に格闘家ウイリエム・ルスカの不遇と不幸が凝縮されているように感じられてとても切なくなりました。
猪木「ルスカはいまだにカジノの用心棒みたいなことをやっていると聞いたんだけど、あれほどの天才格闘家が恵まれないというのは残念だね。ルスカは性格が良過ぎるというか、気が良過ぎてずいぶん損をしたんじゃないかな。実力では完全に上を行ってたのに、つねにアントン・ヘーシンクというライバルに遅れを取ってしまって。ヘーシンクは今ではオランダのスポーツ委員会の役員か何かになって社会的にも高い地位に就いてますよね。それに比べるとルスカの境遇は非常に気の毒な気がします…」
〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉