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格闘家 猪木の実像〜その8

〈格闘家 猪木の実像〜その8 スパーリング・パートナー“佐山聡”の証言〉

──佐山さんの格闘家としての原点は、猪木さんの格闘技戦時代になりますよね。そのころの思い出から話していただけますか。

佐山「たしかに、ここまで僕がやってこれたことの原点は猪木さんです。ただ、猪木さんを誤解していた時期があったんですよ…。ブラジルの仕事(アントンハイセル)とか、シッチャカメッチャカなときがあって、猪木さんひとりじゃどうにもならなかったんでしょう。格闘技をやろうという気持ちがあっても、とても手が回らなかったんだと思います。  

それに僕はタイガーマスクとして人気を集めてはいましたが、猪木さんが雲の上の人であることに変わりはなかったですから、猪木さんの悩みや苦しみを、理解しようにも別世界の話のようでわからなかったんです。実際に僕が新日本を辞めるとき、猪木さんに「昔のような理想を取り戻してください!」そう言って直談判したこともありました…。

 いまは経営者としての苦しみなんかも理解できるようになりましたが、なにしろ当時は若かったし格闘技バカでしたから、結局、溝を埋められませんでした。それからは別々の道を歩んでいますが、僕のこれまでの人生は自分なりに猪木イズムを守ってきたプロセスだと思っています」

──かつて猪木さんはWMA(世界格闘技連盟)という、プロレスとプロ格闘技全体を統一する構想を持っていて、佐山さんはその第1号選手になるはずだったと聞いています。

佐山「実は、僕は18歳から格闘技をやりたくて、まさに猪木さんが格闘技路線を突っ走っていたころですから、『新日本プロレスのなかに格闘技部門を作ってみてはどうでしょうか』って勇気を出して猪木さんに話したんですよ。そしたら猪木さんもそれに賛同してくれて、WMAをやるときは僕を第1号選手にしてくれると言ってくれたんです。もう舞い上がっちゃいました! それですぐにキックボクシングのジム(目白ジム)に通い始めたんです」

──WMA構想というのは佐山さんのアイディアだったんですか。

佐山「そうなんです。たとえばチャック・ウエップナー戦のときの指が自由に使えて掴めるグローブは、僕がもともと格闘技用に考案していたモノで、試合の直前に靴屋さんに特注で作ってもらったんですよ。それを猪木さんが実戦で使ってくれたんですね。僕のなかではそのころから自分のやりたい格闘技のイメージが大体できてましたし、猪木さんについて行けば必ず実現できると信じていました…」

──それが紆余曲折を経て現在のシューティングになったわけですね。

佐山「アントニオ猪木の格闘技戦が本物でなかったら、僕のような存在は生まれなかったと思います。いまでもプロレス界に興行として異種格闘技戦をやられる人たちがいますが、猪木さんのように必死でトレーニングに取り組んで、なおかつ真剣勝負で本当に強い人ってほとんどいないはずですよ。猪木さんは本当に強かった! プロレスを離れてもそれは胸を張って言えます」

──佐山さんは格闘技戦の前によくスパーリング・パートナーを務めていたそうですが、具体的にはどんな練習をしていたんですか?

佐山「異種格闘技戦をやる前から猪木さんは厳しいトレーニングをやっていましたし、新日本プロレスの通常の練習自体が凄かったんで、特別なメニューがあったわけではありませんでした。

プロレス界には、レスラーのトレーニングは体を作ればそれでいいんだという考えがわりと根強いんですが、当時の新日本の体作りというのは、いざというときのセメントに負けないためにやるものだと、皆が当たり前に思っていましたからね」

──いざというときのための練習とは?

佐山「猪木さんが中心となって、セメントのケンカみたいなグラウンドのスパーリングが始まるんですよ。僕はわりとスタミナがあったほうなんで、体力トレーニングはそんなにきつく感じなかったんですが、スパーリングで毎日叩きのめされるのは辛かったですよ。

 若手同士のスパーリングなんか、殺るか殺られるかっていうような凄いムードでした。藤原(喜明)さんになかなか勝てなくて、最後に一本取れるようになったときなんか最高に嬉しかったですね」

──要するに新日本の選手は道場で毎日セメントマッチをやっていたと。

佐山「そういうことです。ただ、それが寝技ばかりだったんで、僕はちょっとおかしいなと感じてキックボクシングも習い始めたんです」

──寝技に入る前に、まず相手を倒さなければならないと?

佐山「そうです。当時、合宿所の僕の部屋の壁には『真の格闘技とは、打撃に始まり、組み、投げ、最後に関節技で極まる』と書いた紙が貼ってあったんです。

毎日、殺伐としたセメントをやっていたからこそこういう発想が生まれたわけですし、猪木さんが『プロレスラーはプロレスだけやっていればいいんだ!』っていう指導者だったら、僕のこういう発想はなかったですよね」

──とはいえ、猪木さんはプロレスの試合では相手にとどめを刺すような、いわゆるシュート技は使いませんでしたよね。佐山さんはそこに疑問を抱かなかったんですか?

佐山「プロレスの世界には、100年前にプロレスの歴史が始まったときから、『セメントの世界とリングの世界は違う』という考えが根強いんですよ。猪木さんもそう考えていたんだと思います。

ただ、それでも当時の新日本の味がちょっと違っていたのは、そういうこと(セメント)ができるレスラーたちが、ある種の雰囲気を醸し出しながらプロレスをしていた点にあるんだと思います。それが本能的にお客さんに伝わったんじゃないかと。

一言でいえば猪木さんのプロレスは『格闘家がやるプロレス』だったから凄みがあった。格闘家じゃない選手がいくら格好だけ真似しようとしても不可能なんです。

つねにセメントの厳しさのなかに自分を置いて鍛えた猪木さんだからプロレスのなかにあれだけの凄みが出せたのであって、なかなかプロレス界に猪木さんを超えるレスラーが現れないのは当然です」

──猪木さんがプロレスの試合で見せなかったテクニックの話を聞かせてください。セメントのスパーリングではどんな技を使っていたんですか?

佐山「いまサブミッションと呼ばれているような技は全部使ってました。猪木さんの師匠のカール・ゴッチさんが『本物のレスラーはすべての技が使えなければいけない』という考え方なんです。左右両方。猪木さんもそうでした。それに日常的にセメントばかりやっていると、あらゆるシチュエーションに対する備えが自然に身に付くんです」

──いわゆるU系スタイルと現在呼ばれている技も、猪木さんはそのころから実践していたのですか?

佐山「ええ、すべて。ただ、あのころは膝十字(固め)は使ってなかった。それと逆十字も…」

──え? 腕ひしぎ逆十字ですか?

佐山「なぜかゴッチさんがあの技を嫌ってたんで、あんまり使わなかったんです。ルスカ戦の前から猪木さんはよくスパーリングではやってたんですけど、レスリングの世界にはあの技を軽んじる風潮があったんですよ」

──最近流行のチョークスリーパーやヒールホールドは?

佐山「バーリトゥードのイワン・ゴメス選手から取り入れてました。もともと猪木さんの腕は細くて長いのでスリーパーを極めやすい体型なんです。ただ、あまり試合では使わなかった。実はこれもゴッチさんの石頭の影響で(笑)。ゴッチさんはチョークが嫌いだったんです。

 当時、本当に猪木さんが得意にしていた技は“フィギュア・フォー・ボディシザース”。それに猪木さんの足首はやわらかくて、僕らがいくら技をかけても絶対極まりませんでした」

──藤原組の石川雄規選手が猪木さんとスパーリングをした際、何気ないボディシザースが強烈だったことに驚いたと語っていました。

佐山「ボディシザースは本当に効く技なんだと僕も弟子たちに教えています。ただ、あの技に向いた体型っていうのがある。手足が長くて足首が軟らかい…まさに猪木さん向きの技といえました。ボディシザースの天才ですよ! あっ、もちろんその技だけじゃないですよ(笑)」

──猪木さんの技のなかでもっとも凄い技は絞め技だという意見をよく耳にしますが?

佐山「いえ、全部です。相手の体の自由を封じ込めるボディコントロールもそうですし。いま僕はシューティングをやっている立場なんであえて言いますが、猪木さんはシューティングのテクニックを全部持ってます。なぜかといえば、セメントのなかで使われる技は、最終的に同じようなレパートリーになっていくからなんです」

──猪木さんが打撃系の格闘家と闘うとき、佐山さんが必ずスパーリング・パートナーを務めていたそうですが、どんな打撃対策をしていたのでしょうか?

佐山「僕はすでにキックボクシングを始めていたんで、モンスターマン戦の前に相手をさせられたんですが、とにかく猪木さんは打撃に対する防御法を身につけるため、攻撃をしないでひたすら受けていました。それから攻撃をかわしてタックルに入るタイミングの練習のとき、倒された僕の肩が脱臼したこともありました。

 アリ戦のときは、まだ僕はぺーぺーだったので、せいぜいサンドバックを押さえるくらいでした。あ、これだけは言いたいんですけど、アリ戦をショーだとか、反対に真剣勝負だからつまらなかったんだとかいろいろ言われましたが、あのルールにおいて猪木さんの闘い方はあれしかなかったんですよ。

 最近は格闘技をわかっている人が増えてきて理解されてきましたけど、『タックルもクリンチも禁止。ロールブレイクはあり』なんてルールを突きつけられたら、普通だったらもうお手上げです! やっとの思いでアリを招聘した猪木さんの立場としては、逃げられないためにはどんなルールでも呑まざるを得なかったんですよ。むしろアリキックという戦法を見つけて、試合を成立させた猪木さんは凄かった」

──いまの佐山さんから見て、猪木さんの当時の打撃テクニックをどう分析しますか。

佐山「僕がこんなことをいうのは僭越で恐縮なんですが…。ストレートパンチの打ち方は出来上がっていましたね。連打を効かすというより、1発で倒すというような打ち方です。 

蹴りに関しては…厳しい言い方をすると、本当はキックっていうのは蹴っちゃいけないんですが、猪木さんはどうしても蹴ってしまっていました。いかにタイミングを読んでポイントに入れるかがキックの場合、重要なんです。

でもああいうローキックとか、それまでやるレスラーはいませんでしたし、決して洗練されたスタイルではありませんが、天性の勘で使いこなしてしまったんじゃないですかね。でも、猪木さんの場合、本当は蹴りなんか必要なかった」

──どういうことですか?

佐山「たとえばグレイシー柔術にはフェイントとしてのジャブとかはありますが、攻撃技としては必要ないじゃないですか。トータルなテクニックを持っていれば必ずしも打撃は必要ないということです」

──すると猪木さんはアリ戦の変則ルールでレスリングを封じ込まれたために、仕方なく打撃技を身に付けたということですか?

佐山「そうです。猪木さんにとっては打撃の技術なんか持たなくても、避ける技術さえあればよかった。だから僕の役割は、打撃技に対する猪木さんの目慣らしだったんです。相手の打撃を避けながら、懐に入れば勝負はついてしまうわけですからね」

──最後に、格闘家・アントニオ猪木の最大の特徴は?

佐山「しなやかさと寝技です。格闘家っていうのはあまり筋肉を付けてはいけないんですが、猪木さんの体は無駄がなくてしなやかで理想的でした。格闘家にとっていちばん大事な気持ちやクレバーな頭も備えていました。もし、現在のシューティングにあるような立ち技の技術があのころ確立していて、それを猪木さんが身に付けていたら大変なことになっていたでしょう。でも、猪木さんの技術はあの時代においては最先端で限界のモノでしたよ」

【聞き手・木村光一/1996.2.20収録インタビュー/『闘魂戦記 格闘家・猪木の真実』より】


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by leicacontax | 2021-03-30 11:05 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)

現実は精巧に造られた夢である。〈長谷川りん二郎の言葉〉


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