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カール・ゴッチ、ビル・ロビンソンを輩出した“蛇の穴”とは何か

【キャッチ=最強プロレスの時代】

 19世紀後半、近代プロレスはアメリカで産声を上げた。

 移民によって伝えられたイギリス発祥のレスリング〝キャッチ・アズ・キャッチ・キャン〟がその原形である。キャッチ・アズ・キャッチ・キャンという独特の言い回しはランカシャー地方の方言であり、「掴まえられるものなら掴まえてみろ!」「やれるものならやってみろ!」の意味。〝キャッチ〟〝ランカシャーレスリング〟とも呼ばれ、投げや押さえ込みといった通常のレスリング技に加え、〝サブミッション〟(相手を戦闘不能にする多彩な関節技・絞め技)のテクニックを用いて試合を行う。

 当時、試合は賭博の対象とされ、レスラーも素手の賞金稼ぎといった存在だった。したがって勝負に第三者の意志が介在する余地はなく、試合はすべて〝シュート〟が原則。100年前、プロレスは頑固なまでに純然たる格闘技として行われていた。

 20世紀初頭、講道館柔道普及のために世界中を転戦していた前田光世(コンデ・コマ)もロンドンでキャッチのトーナメントに出場した記録が残っている。前田はこのあとブラジルへ渡ってブラジリアン柔術の始祖となる運命なのだが、キャッチとの対戦が彼に少なからぬ影響与えたであろうことは想像に難くない。この時代、打倒キャッチを果たして名を上げることは世界中の格闘家の誉れ。キャッチはそれだけの強さを保持した誇り高き格闘技だった。

【蛇の穴】

 キャッチの本場イギリス・マンチェスター州ウィガン。そこにビリー・ライレーというキャッチの達人がいた。元大英帝国ミドル級チャンピオン。彼は1920年代にジムを開き、ビリー・ジョイス、〝神様〟カール・ゴッチ、〝人間風車〟ビル・ロビンソンといったプロレス史に残る伝説的レスラーを輩出し続けたことで知られている。

 ジムの正式名称は『ビリー・ライレージム』。だが、炭坑の街として栄えたウィガンには至るところ坑道の穴があったことと、ライレージム出身のレスラーは、皆、蛇のようにしつこく絡み付くファイトをすることから、いつしかそこは〝蛇の穴〟(スネークピット)と呼ばれて怖れられるようになった。劇画『タイガーマスク』に登場する覆面レスラー養成機関〝虎の穴〟はこの蛇の穴のもじり。ライレーは痩せてジェントルマンな風貌をしていた。見方によってはどことなくミスターXを彷彿させる。最強レスラー養成所は、たしかに実在していた。

【受難】

 しかし、第二次大戦前後から、急速にマット界はショー化の一途を辿る。プロモーターの権限が強くなり、興行の都合が最優先されるようになったことが最大の要因だった。戦争によって浮き彫りにされたナショナリズムや国民感情を反映したマッチメイクでなければ客も入らない。とくに広大な国土に他民族が共存するアメリカでは、テリトリーによって住む民族も異なればヒーロー像も違ってくる。レスラーに求められるのは、もはや強さだけではなかった。もう好き勝手には闘えない。テレビ中継の時間制限もそれに拍車をかけた。すべては、時代の要請だった。

 キャッチの実力だけでマット界を渡れた時代は終わった。逆に強過ぎるレスラーは〝シュート〟と呼ばれ、レスラー間でも疎まれるようになる。当然、キャッチの使い手は居場所を失い次第に姿を消して行く。プロモーターに与えられた役割を演じることが仕事になったレスラーにとって、過酷で先の長いキャッチの修練も、もはや重荷でしかなかった。

 事実、蛇の穴出身のカール・ゴッチは、〝20世紀最大のプロレスラー〟〝鉄人〟ルー・テーズに勝るとも劣らぬ実力を持ちながら、ついにアメリカマットで日の目を見ることは叶わなかった。ゴッチは己の不遇を呪ったが、その行き場のない無念を日本人の弟子であるアントニオ猪木に〝シュート〟を叩き込むことで晴らそうとした。

 ゴッチはそれからも、猪木直系の弟子である藤原喜明、佐山聡(初代タイガーマスク)、前田日明、高田延彦、鈴木みのる、船木誠勝達の指導を行い、彼らの技術的精神的支柱であり続けた。ゴッチは’07年に亡くなったのだが、今もその技術と精神は世代を越えて継承されている。カール・ゴッチは、日本のプロレスの〝神様〟となった。






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by leicacontax | 2021-03-16 23:37 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)

現実は精巧に造られた夢である。〈長谷川りん二郎の言葉〉


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