2006年 04月 05日
格闘家 猪木の実像〜その5
〈格闘家 猪木の実像〜その5 コブラに託した信念〉

 アントニオ猪木の必殺技は何かと問われたら、あなたはどんな技の名を挙げるだろうか?
 「卍固め」、「コブラツイスト」、「延髄斬り」、「ジャーマン・スープレックス・ホールド」、「バックドロップ」、オールドファンなら「フロントネック・チャンスリー・ドロップ」を思い浮かべるかもしれない。
 いずれも、アントニオ猪木の数多の名勝負を締めくくった記憶に残るフィニッシュ・ホールドであり、プロレスの代名詞ともいえる大技である。
 しかし、総合格闘技の試合でプロレス的な大技で勝負が決した試しはまずない。といって、プロレスの大技は見かけ倒しのフェイクかというと、必ずしもそうとは限らない。
 本来、アントニオ猪木が標榜したストロングスタイル・プロレスでは、フィニッシュ・ホールドを繰り出す前段階で勝負は決していた。地味に見えるグラウンドの攻防や観客の眼の届かない死角の攻防。あるいは一発の張り手やパンチで、つねにどちらが強いかの答えは出ていた。その答えを踏まえた上で、レスラーは、あえて、観客にカタルシスを与えるため、もっとも美しい技やスペクタクルな大技を繰り出して試合を締めて見せた。ストロング・スタイルのプロレスは、本来、そんな二重構造になっていたのだ。

 シューティングを主宰していた頃の佐山聡に、「格闘技で使えるプロレス技はあるのか」と質問したことがある。その時、佐山はきっぱりこう答えた。
「コブラツイストは格闘技の試合でもフィニッシュに使えますよ。グラウンドで」
 意外な答えだった。
 それから少し経ち、猪木がファイナル・カウントダウンで行ったウイリー・ウイリアムスとの「決め技限定マッチ」。フィニッシュで使われたのは「グラウンド・コブラ」。多分、それは偶然の一致ではなかった。あの試合、セコンドには佐山の姿があった。そう、あれはプロレスに格闘技を持ち込んだアントニオ猪木と佐山聡の師弟が、プロレスが格闘技の脅威にさらされ始めた時期、「プロレスラーは格闘技とどう闘えばいいのか」というメッセージを込めた試合だったのだ。
 歴史を紐解けば、猪木は実際、1978年6月に行われたモンスターマンとの異種格闘技戦(再戦)において、グラウンド・コブラでギブアップ勝ちを収めている(受けに回っていた初戦と打って変わり、猪木はこの一戦、自らパンチ、キックの喧嘩ファイトに出た。前回の闘いで打撃系格闘家との間合いの感覚を掴み、なおかつウエイト差による優位を確信していた猪木は、プロレスラーの打たれ強さを前面に押し出したファイトスタイルを選択。乱撃戦で相手を崩し、得意の寝技で勝負を決めるという、現在、レスラーが総合を闘う際に用いる勝利の方程式通りの展開で勝利していた)。

 残念ながら、「猪木・ウイリー/決め技限定マッチ」はほとんどの観客に単なるノスタルジーと受け止められ、マスコミやプロレス関係者にもエキジビション程度の捉え方しかされなかった。今ではそんな試合があったことすら完全に忘れ去られてしまっている。が、あの試合は断じて過去をテーマにした闘いではなかった。異種格闘技戦で格闘技の怖さを知り尽くしていた猪木と総合格闘技のパイオニアである佐山。彼らの眼には、おそらく、すでに今日のプロレスの危機的状況が映っていた。「グラウンド・コブラ」は、格闘技に対抗するため、プロレス技の再確認を急げという後輩達へのメッセージに他ならなかった
 それが真実である証拠に、猪木は現役最後のリングでも同じメッセージを再び発した。
 引退試合の相手は「アルティメット王」ドン・フライ。総合格闘技の王者に対しても、猪木は「卍固め」ではなく「コブラツイスト」からの「グラウンド・コブラ」をフィニッシュに選んだ。
 あれこそはアントニオ猪木のプロレスラーとしての意地。
 プロレスも格闘技なのだという信念の現れだった。
(つづく。文中敬称略)
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by leicacontax | 2006-04-05 00:57 | プロレス/格闘技/ボクシング


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