2006年 04月 04日
今日のCD/Scary Monsters
Scary Monsters/Dsvid Bowie

【今日の曲】Ashes to Ashes

デビッド・ボウイの曲は、楽曲として完成していた試しがないように思う。
でも、多分そこがいい。
旋律や約束に縛られた音楽を受けつけない気分の時、
それでも何かを聴きたい時、
気がつけばボウイをかけている。
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by leicacontax | 2006-04-04 00:58 | 今日のCD | Comments(9)
Commented by pasin at 2006-04-04 22:16 x
ボウイは本当にスタイルが定まらないミュージシャンでしたね。
フォーク、グラム、ファンク、プログレ、エレポップ・・・
中でもこの頃(ロウ~スケアリーモンスターズ)が私も一番好きです。

話は変わりますが「NWF」というプロ格ブログを立ち上げてみました。
ざっくばらんに昭和プロレスを懐かしむ主旨です。
宜しければ覗いてみてください。
Commented by leicacontax at 2006-04-04 23:33
さっそくですが、提携団体としてリンクを張らせていただきました(笑)。
pasinさんはプロレスと格闘技の真の意味での区別にまで言及している数少ない方なので、きっと充実したブログになると思います。
私もできるだけ発言させていただきます。
Commented by pasin at 2006-04-05 09:29 x
リンクの件、ありがとうございます。
>プロレスと格闘技の真の意味での区別
これは難しいテーマですね(^^;。
でも、謎が多いからこそ今までプロレスを見続けてきたわけです。
最近のプロレスに一番足りないのは「謎」だと思うのですがいかがでしょう?
Commented by leicacontax at 2006-04-05 22:04
プロレスってエロと同じだと思うんです。
やる側、見る側の品性次第でアートにもグロにもなる。
開き直って全部さらけ出してしまえば、最初はみんな面白がるけど、興奮が冷めればそんなものは当り前になってしまう。生々しい人間の営みそのものですね。
しかし、だからこそそこにはルールに則ったゲーム(格闘技)にはない、計り知れない謎もあるわけで・・・プロレスを考えるということは、結局、リアルな人間を考えることだと思うんです。
今のプロレスに謎がないとしたら、やる側が楽に開き直ってしまっているからでしょうね。どうせバレてるんだから今更格好つけてもしょうがないと。それでも格好つけなければいけないのがプロのはずなんですがね。
Commented by pasin at 2006-04-06 00:09 x
エロと言えばAVにも似てますよね。ガチで感じてるのか演技なのか・・・失礼しました(^^;

>それでも格好つけなければいけないのがプロのはずなんですがね。
それを実践していたのが力道山であり、猪木であり、前田であり・・・いやあの頃の多くのレスラーには大なり小なりそういう気構えがあったと思います。
だからこそシュートの技術を磨き、肉体を鍛えていたんだと思います。


Commented by Ta at 2006-04-06 22:37 x
 どうもです。
私はプロレスも(総合)格闘技も同じだと思っているので、違いはルールだけだと…思いたい。(笑)あえて言うなら、総合は勝負に重点を置いて進化したプロレスなのかなと思っています。本来は新日にはそういう進化をして欲しかったのですが…。
とは言え、魅せることを重視したプロレスも嫌いではないです。ルチャも好きだし、昔の新日には普通に見られた腕の取り合い、バックの取り合い、ブリッジワークのようなものも好きです。
ただ、どれも共通するのは洗練された技術を見せるものだということだと思うんですね。見せ掛けだけの技、効いてるふりの演技や、安っぽいパフォーマンスはけしてプロレスの本質ではないと思うのですが、そうは思っていないレスラーが最近は多いようで…。
Commented by leicacontax at 2006-04-06 23:43
>ただ、どれも共通するのは洗練された技術を見せるものだということ
Taさんの言う通りです。
だからこそプロフェッショナルなのであり、見せ技にしても、そのレベルが高ければリアルな強さを競う技とのアンサンブルが可能になる。
かつての新日本プロレスは、その意味では完成に近いプロレスだったのだと思います。
Commented by ねこギター at 2006-04-07 01:11 x
こんばんは。
今の新日に対しては厳しい意見になりますね。
プロであるということは、世間に対して、どう対峙しているのか、何を表現したいのかってことではないかと思うのですが。ガチンコの勝負であれ、試合過程で魅了することであれ、リングに立つということは表現だと思うのです。
昔の新日は世間に馬鹿にされることが一番嫌いだったはずです。観客に「おお、すごい!」と言わせることだったはずです。それが今のプロレス全般にないですね。
分かりやすいビンタの張り合いは、馳のジャイアントスイングの回数と同じで、観客が喜んでいると勘違いしてますね。
むしろ今何が起こったのかわからない様な技術の攻防に奥深い魅力を感じたりすると思います。
猪木さんの試合には、そういう意味で「謎」を含むものが多かったですね。
Commented by leicacontax at 2006-04-07 02:53
90年代のドーム・プロレスというイベントの成功を、当時の新日本プロレスという会社も選手たちも、皆、自分たちの手柄だと勘違いしてしまったんですね。亡くなった橋本選手に一度だけインタビューしたことがありましたが、その時、彼は「猪木さんのプロレスを俺たちは進化させた」とはっきり言ってました。
時おりしも格闘技の台頭が始まった頃。それでもドームを満杯にしていることで彼らは、このやり方でいいのだと慢心していたのです。
しかし、それは勘違いでした。その成功はアントニオ猪木が築き上げた「プロレス最強」のイメージがあって初めて成立するものであり、その土台をなくしたら真っ逆さまだということが彼らにはわからなかった。
結局、克服したと思っていた猪木コンプレックスに、彼らは復讐されてしまった。私はそう思っています。
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