2006年 04月 01日
格闘家 猪木の実像〜その1
昨日、3月末日をもって私が手がけていた「アントニオ猪木公式ファンサイト/TEAM INOKI」が閉鎖となりました。
つきましては、そちらに私が寄稿していたコラム「プロレスラー・アントニオ猪木を支えた奥義」を「格闘家 猪木の実像」に改題。当ブログに再掲載いたします。
公式サイトでは第6回までとなっていましたが、実はまだ書ききれていません。折りをみて完結させたいと思います。まずは第1回「プロレスラーは何でもできなければならない」から。

〈格闘家 猪木の実像〜その1 プロレスラーは何でもできなければならない〉

 「役者は何でもやる必要はないけれど、何でも出来なければならない。やれ、と言われれば歌舞伎もミュージカルも翻訳劇も立派にやってみせなければならない。プロの役者であればそうあるべきだと思うのです」
 敬愛する歌舞伎俳優・九代目松本幸四郎の言葉である。
 「Dynamite!!」曙・ホイス戦の直前、猪木が公開練習のスパーリングで曙選手に関節技を極めてタップさせたというスポーツ紙の記事を読んだとき、ふと、その言葉を思いだした。
 両者の年齢差26歳。体重差130kg。打撃なしのグラウンド勝負とはいえ、現役を引退して6年にならんとしている61歳の猪木が、曙選手の220kgの巨体を自在にコントロールして横三角締めをがっちり極めた。
 その場面を目の当たりにした関係者たちは、
 「猪木さんは総合格闘技の動きをわかっている」
 と、皆、一様に驚いたというのだが、私にすれば猪木健在の嬉しさの反面、何を今さら……だった。
 ことさらアントニオ猪木を神格化するつもりはない。むしろ、私は過剰な修飾語で猪木とその歴史を飾り立てることには、つねに反対の立場をとっている。アントニオ猪木のプロレスの本当の凄さは、飾りを捨てた本質にあるというのが私の持論だからだ。

 冒頭の言葉に戻る。
 「役者」=「プロレスラー」。「歌舞伎」=「プロレス」。「ミュージカル」「翻訳劇」=「格闘技」。と置き換えてみる。するとこうなる。
 「プロレスラーは何でもやる必要はないけれど、何でも出来なければならない。やれ、と言われればプロレスも格闘技も立派にやってみせなければならない。一流のプロレスラーであればそうあるべきだと思うのです」
 まるで猪木が発した言葉のようではないか。 
 松本幸四郎はいうまでもなく歌舞伎の名門・高麗屋の当主であり、歌舞伎だけでなくミュージカルやテレビドラマでも活躍する名優である。若き日に、日本の俳優として初めてミュージカルの本場ブロードウェイに単身乗り込み、「ラ・マンチャの男」の主役を務めるという偉業も成し遂げている。松本幸四郎は、演劇界においてはジャンルを超えたスーパースターなのである。
 それでも、松本幸四郎は自身をプライドをもって歌舞伎俳優だと言い、そして、本物の歌舞伎俳優ならどんなジャンルの芝居も出来なければならないのだと断言する。
 猪木は自分を「格闘家」と称したことはない。アントニオ猪木はいつでもプロレスラーであり、プロレスラーとしてどんな状況のリングにも上がり、ときには殺るか殺られるかの修羅場さえくぐり抜けてきた。特筆すべきは、猪木は自分がプロレスラーとして身につけた技術だけで、世界的格闘家たちとも渡り合ってきたという事実である。
 猪木からこんな言葉を聞かされたことがある。
 「俺の引き出しにはまだ眠っているものがたくさんある」
 曙選手とのスパーリングで、猪木は久々にその片鱗を垣間見せたにすぎない。
 歌舞伎には松本幸四郎をどんな舞台でも輝かせた芸がある。そして、かつてプロレスにも、アントニオ猪木の強さを支えた奥義が隠されていた。(つづく。文中敬称略)
[PR]

by leicacontax | 2006-04-01 20:08 | プロレス/格闘技/ボクシング


<< 東京タワー36      今日のCD/Breakfast... >>