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2015年 11月 07日
デジタル写真集の連載と配信を開始しました。
11月1日より『月刊 DIGITAL FACTORY』にて『月刊 東京タワー』の配信が始まりました。
これまで当ブログにて掲載してきた写真を中心に、あらためてテーマ別に選りすぐった企画です。
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http://digital-gekkan.jp/page/index/pageid/4/index.html

これから毎月、シリーズ企画として配信されるのと並行し、
kindle他の主要デジタルブックストアにて順次ダウンロード販売される予定です。
よろしく応援のほど、お願いいたします!
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by leicacontax | 2015-11-07 20:22 | 東京タワー | Comments(0)
2011年 04月 28日
拳の記憶
拳の記憶─Number創刊30周年記念ボクシング完全讀本─が26日発売されました。
http://number.bunshun.jp/articles/-/115941
今回、私もこの本で[〝元祖モデル〟小林弘の証言]クロスカウンターと矢吹丈のいた時代
という文を書かせていただきました。
ご一読の程、よろしくお願いいたします。
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by leicacontax | 2011-04-28 14:36 | Comments(0)
2011年 02月 17日
DIG出演しました。
昨晩、TBSラジオ『ニュース探究ラジオDIG』に出演しました。
メインパーソナリティーは藤木TDC氏とTBS外山恵理アナウンサー。
私と一緒に出演したゲストは『梶原一騎伝/夕やけを見ていた男』の著者でジャーナリストの斎藤貴男氏。
御三方と『劇画一代・梶原一騎』というテーマで、たっぷり1時間ほど語らせていただきました。
オンエアーの模様はポッドキャストで聴くことができます。
www.tbsradio.jp/dig/index.html
『放送後記』で放送中の写真、『ポッドキャスト』のバックナンバー(2月16日分)では番組音声がまるごと楽しめます(但し、音声のダウンロードは1週間の期限有)。
興味のある方、ぜひ、アクセスしてみてください。
以上、業務連絡でした(笑)。
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by leicacontax | 2011-02-17 14:48 | Comments(4)
2008年 11月 29日
肖像写真。熱海の小金姐さん。
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〈LEICA DIGILUX3〉

突然ですが、今週、私が久々に制作を手がけた書籍『小金さん 熱海百年芸者物語』が発売になりました(編集・本文構成・撮影・装幀を担当)。お近くの有名書店にお立寄の際には、皆様、ぜひ、お手に取ってご覧になってくださいますようお願い申し上げます。以下、書籍紹介のプレスリリースより抜粋。

NPO法人 復活熱海元気ですよ事務局は、この度、日本テレビ『ザ! 世界仰天ニュース』で百歳の現役最古参芸妓として紹介されて大反響を呼んだ小金さん(本名/鏑木賀代)の自叙伝『小金さん 熱海百年芸者物語』(四六判ハードカバー・224ページ)を発行致します。発売は東邦出版株式会社。価格は1500円(税別)。11月26日、全国一斉発売を予定しております。

f0070556_1172642.jpg本書の著者である小金さんは、1909年(明治42年)生まれ。9月に目出度く百寿(数えの100歳)を迎えました。13歳で小初として甲府若松町でお披露目。赤坂、白山の花柳界を経て、1958年(昭和33年)、熱海にて小金の芸名で再出発。以来、今年でちょうど半世紀。節目を迎え、先頃、小金さんはついに惜しまれつつ引退致しました。
 
本書は小金さんの偉大な功績を称え、芸に対するその真摯な姿勢を後世に語り継ぐことを目的にしています。しかしながら、明治、大正、昭和、平成という未曾有の激動の時代を生き抜いたドラマティックな一代記は、単なるノスタルジーには非ず、生きる意味を見出せずに途方に暮れる最近の若者や、将来への不安に怯える働き盛り世代など、あらゆる読者の胸に響く普遍のドラマとなっています。

キーワードは小金さんの口癖である「芸は好き。でも芸者は嫌い」。この矛盾する短い言葉に小金さんの喜びや哀しみ、波瀾万丈な人生が凝縮されており、そして、「生きてみなけりゃわからないことってある」という自叙伝のおわりを締め括る百年を生きた大先達の言葉に、読者は必ずや勇気と希望を見出すに違いありません。
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by leicacontax | 2008-11-29 11:18 | Comments(2)
2008年 11月 14日
肖像写真。初代タイガーマスク/佐山サトル 〈 プロレスラー/掣圏真陰流 興義館総監 〉
関係各位から許可を取り付けることができましたので、今年の夏、週刊実話のモノクログラビア用に撮影した写真と記事をUPします。私が写真と文を担当する「傷だらけの肖像」というページは、現在、月に1度のペースで掲載。これまで他に、藤原喜明氏(プロレスラー)、藤田和之氏(プロレスラー・総合格闘家)、菊田早苗氏(総合格闘家)、緑健児氏(空手家・新極真会代表)、近藤有己氏(総合格闘家)といった格闘家、武道家の方々に登場いただいております。

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〈LEICA DIGILUX3〉プロフィール/佐山サトル(さやまさとる)‘57年、山口県出身。本名、佐山聡。’80年代初頭、初代タイガーマスクとして一世を風靡。引退後、総合格闘技シューティング(現・修斗)及び市街地型実戦武道・掣圏道(現・掣圏真陰流)創設。’05年、リアルジャパンプロレス設立。

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〈LEICA DIGILUX3〉
 
傷だらけの肖像・其の参 〜 毘沙門天を宿す覆面。

「内側から見るマスクは、ただの布切れでした」
 25年前──人気絶頂のまま突如プロレス界を去った天才・佐山サトルが語った言葉だ。
 その後、佐山は時代に先がけて総合格闘技〝修斗〟を創設するも離脱。紆余曲折を経て、近年、ついに自らが史上最高の武道と信じる〝掣圏真陰流〟の創造に至る。
 そんな佐山が3年前、〝ストロングスタイル復興〟をテーマにリアルジャパンプロレスを旗揚げ。初代タイガーマスクの勇姿を蘇らせた。
 試合後、こんな質問をした。
「今、マスクは内側からどう見えてますか?」
 虎の仮面の下から現れた汗だくの佐山は即座に答えた。
「タイガーマスクがファンと自分の大切な架け橋であることは重々承知しています。が、やっぱり内側から見えるのは布切れ。これを被れば強くなれるわけじゃないんです」
 汗まみれの覆面の裏側──その眉間には武神を意味する〝毘〟の刺繍が隠されていた。
(文中敬称略)
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by leicacontax | 2008-11-14 18:33 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(6)
2007年 09月 13日
肖像写真。
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〈RICOH GR DIGITAL〉取材でジョー山中さんにお会いしてきました。3オクターブの声を持つ、日本のロック、レゲエの先駆者。私世代にとっては映画『人間の証明』のジョニー・ヘイワード。mama,do you remember──あの胸に滲みる歌の英訳もまた、ジョーさん自身によるものでした。
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〈RICOH GR DIGITAL〉ジョーさんは昨年、還暦を迎えられたそうですが、今も熱いライブを精力的に行っています。一般にはあまり知られていませんが、'90年代からはライフワークとして世界の紛争や飢餓に苦しむ地域を訪れてボランティア活動を展開なさっていて、すでにその国の数は20を超えています。拝見させていただいた記録ビデオの中、難民キャンプの子供達の輪に分け入ってアカペラで歌うジョーさんとそれを自然に受け入れてはしゃいでいる子供達の姿──思わずジンときました。
ジョーさん、貴重なお話の数々、本当にありがとうございました!
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by leicacontax | 2007-09-13 04:30 | Comments(3)
2007年 02月 03日
インタビュー記事掲載のお知らせ。
昨年末に取材したカシアス内藤さんのインタビュー記事が、今週発売の『週刊実話』(日本ジャーナル出版)に掲載されました。内藤さんは沢木耕太郎氏のベストセラー・ノンフィクション『一瞬の夏』の主人公として、また、アリスの名曲『チャンピオン』のモデルとしても知られる伝説の天才ボクサー。
3年前、突如、末期の中咽頭ガンに冒されている事実をマスコミに公表。以来、闘病を続けながら、一昨年には長年の夢であったボクシングジムを開設。現在、後進の育成に日々心血を注がれています。その内藤さんの肉声を、4ページにわたる特別インタビューの枠でじっくり書かせていただきました。
「完治はない。だけど(ガンを)消滅させることはできる。今のまま生きられればやりたいことができるんだから、共存でいいんだよ」
引き分けでいいと笑みを浮かべて語っていた内藤さん。しかし、その眼は、あきらかに勝利を見据えた勝負師そのものでした。
ぜひ、ご一読のほどを!

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〈LEICA D-LUX2〉 ジムで何枚か撮らせていただいた写真からベストショットを1枚。このポートレート、とても気に入っています。
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by leicacontax | 2007-02-03 02:29 | Comments(2)
2006年 06月 19日
ワールドカップ〜サッカーを俯瞰で観ると。
前々回のフランス・ワールドカップのとき、私はとある出版社で編集長として働いていた。
日本初のワールドカップ出場ということもあって、その当時、世間は上を下への大騒ぎ。ご多分にもれず、私のいた出版社もブームに便乗してワールドカップ関連の書籍や写真集を出版しまくった。
私の専門というか得意分野はプロレス・格闘技であり、サッカーはまったくのド素人。写真集の類いなら専門外でもどうにかなったものの、書籍に関してはお手上げで、原稿の校正作業(誤字脱字や語句の誤りを正す作業)すらままならず苦い思いをした。そもそも、私は子供の頃から球技が苦手で野球やサッカーの話題はつねに斜に構えて眺める癖があり、そのため職業として必須の情報とわかっていても、どうしても体が受けつけず(嫌悪感というのはそう簡単には拭いされないものなのだ)ほとほと困ったものだった。

それが契機というわけでもないが、以後、日本代表絡みの試合くらいは常識の範囲と割り切って観るようになった。おかげで前回のワールドカップは結構楽しめたのだが、それでも、真剣に観たのは日本代表とブラジル、せいぜいイングランドの試合くらいで、結局、サッカー好きになるほどの歩み寄りには至らなかった。
しかし、今回のワールドカップは現時点でほとんどの試合を観戦。生中継と録画を併せて一日に3試合以上観戦することもあるのだからまったく自分で自分に驚いている。

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〈画像/猪木写真の第一人者・原悦生氏の写真集。氏はサッカー写真でも第一線で活躍している〉

ストレス発散を目的とせず、真剣に、クソ真面目に観ているといろんなことが感じられるようになる。
今、なにより実感しているのは、世界のサッカーが俯瞰(ふかん)で眺められるようになったということ。普段、スポーツニュースで世界のサッカーを見た、あるいは知ったつもりになっていたが、それがはなはだ勘違いだったということがよくわかった。
ボクシングや格闘技の試合を報じるニュースやダイジェストの放送によくあることだが、往々にして実際に観戦した印象とそれが大きくかけ離れていることがある。勝敗を左右するポイントや流れの満ち引きは全体を通して見なければわからない。それもわかっていたはずだったのだが、なにしろサッカーに関していえば一試合が正味90分以上ある。フルタイム闘わずとも早々に勝敗が決する可能性のあるボクシングや格闘技を見慣れた目からすると、その90分はあまりにも長い。長過ぎる。とくに応援しているチームの負け試合や膠着したまま結果が出ない引き分け試合は時間を無駄にしたような気にさせられる。そう、私の球技嫌いの原因はそこにあった。基本的に気の短い性格の私は、それに耐えられなかったのだ。

ところが、ふと思うところあってワールドカップ観戦に没頭してみると、必ずしも応援しているチームの負け試合や膠着の末の引き分け試合も退屈しない。いつもなら退屈してしまう膠着状態にすらスリルとサスペンスがあって面白い。さらに続けて何試合も観ていると各国の目指す戦術やスタイル(美意識)の違いも自ずと理解できて、そうなると勝敗も重要だが、そのスタイルの闘いに興味が湧いて目が離せなくなる。
プロレス好きの方なら御存知のいわゆる『イデオロギー対決』というバックボーンが見えると俄然見え方が変わるのだ。戦術的な事柄はなんとなく理解できる程度で、たとえそれが理解できたところで私にとってはそれほど面白みのあるポイントではない。が、それぞれのチームが持つイデオロギーには、その国の歴史や国民の気質や身体特徴や思想や文化までもが含まれていると思われる(少なくとも私はそう感じ、理解した)。『ワールドカップは戦争』という言葉を聞いたことがあるが、それは単に国の代表同士が勝ち負けを競うということではない。サッカーという共通言語を用いて自国のアイデンティティを世界に主張する場なのだ。それにはっきり気づいた瞬間、私は今まで以上にサッカーが好きになれそうな気がした。

なれそうな気がした、と、まだ歯切れが悪いのには原因がある。
それは、肝心の日本のサッカーが、日本代表が表現しようとしているイデオロギーが私にはさっぱり見えないからだ。平たく言えば、日本代表の闘いからは戦術も含めて何も見えてこない。勝利への執念や気迫以前に、彼らがどんなサッカーをしたいのかがわからないのだ。何をしたいのかわからないサッカーにおいて膠着は退屈以外の何者でもない。皮肉なことに、ここまで私の目には日本の試合が一番退屈に映っている。
残るはブラジル戦のみ。勝敗はもういい(勝負は時の運。あのフランスでさえ一つも勝ち星を挙げられずに苦しんでいるのだから)。せめて世界最強のチームを相手に、これが日本の目指すサッカーだという闘いを表現してもらいたい。このまま終わったのでは、あまりにも日本という国が虚ろ過ぎる。日本人であることが、虚しくなる。

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〈画像/フランス大会終了後に出版した写真集。文は金子達仁氏〉
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by leicacontax | 2006-06-19 19:17 | Comments(0)
2006年 02月 17日
極私的アントニオ猪木論「イノキの穴」
4年前、ターザン山本さんから依頼を受けて書いた原稿(新日本プロレス30周年「非公式ガイド」30  SINCE1972〜2002/宝島社刊収録)をUPします。
ふと、思いだして読み返してみたら面白かったもので(笑)。

《極私的アントニオ猪木論「イノキの穴」》
「マルコビッチの穴」という映画を御存知だろうか。
ある場所にマルコビッチという俳優の頭の中に通じる秘密の抜け穴があり、そこに入れば、誰でも15分間だけマルコビッチの見ている世界を覗き見できるという不思議な映画だ。
この映画の主人公は、その禁断の魅力に取り憑かれ、最後には、穴から抜けられなくってしまうというストーリー。一時期までの私と猪木の関係は、この映画の主人公とマルコビッチに似ていた。
いうまでもなく、マルコビッチはアントニオ猪木。確かに、私は「イノキの穴」に入り込み、アントニオ猪木のすべてを知ろうとした。

私が猪木に初めて会ったのは、あの猪木スキャンダルが尾を引き、2度目の参院選に落選した直後のことだ。猪木を訪ねた目的は、いつの間にかうやむやになってしまったスキャンダルの真相を本人の口から聞き出し、それを本にすることにあった。
といっても、当時、私はマスコミの人間ではなく、編集経験も、ライターとしての実績もない——バブルの栄光と没落を経験し、10年間勤めた広告制作会社を辞め、知人の経営する編集プロダクションでのアルバイトで糊口をしのぐ——無力なフリーターに過ぎなかった。
その頃、私はすべてに自信を喪失していた。どん底だった。
しかし、自由を取り戻したことで、しばらく心の奥底にしまっていた、20年来の猪木への思いが再燃。虚ろで不安だらけの自分の姿と、議員バッジを失って呆然と立ち尽くしている猪木の姿を勝手に心の中で重ね合わせ、このまま終わってたまるか! と、怒りと悔しさだけを原動力に一冊の本の企画書をしたため〝迷わず行けよ、行けばわかる〟と呪文のように唱えながら、未知の世界に踏み出していた。武器は、根拠のないただの思い込み。実のところ、出版社も決まらないままの見切り発車だった。

どこの馬の骨かもわからない私の質問に、猪木は真摯に、正直に胸の内をさらけだしてくれた。猪木が何を訊かれたがっているのか、なぜだか手に取るようにわかった。インタビューが進むほどに、猪木の表情も、憑き物が落ちたように晴れやかになっていった。
その本(闘魂転生〜激白裏猪木史の真実/KKベストセラーズ)は幸運なことに3ヵ月後に出版され、好調なセールスを記録した。私のもとには、立て続けに猪木に関する書籍の編集や執筆依頼が舞い込むようになった。
「イノキの穴」に没頭することが、私の新しい仕事になった。
折しも、政界からプロレス界に帰った猪木を待ち受けていたのは、格闘技によるプロレスへの侵略と破壊だった。だが、私には、かつて自分が熱狂した猪木のプロレスには、揺るぎない格闘技の礎があるという確信が以前からあった。格闘技から吹く逆風が日増しに強まる中、私は、今こそ格闘家・猪木の実像を確かめる時だと直感した。

私は猪木の過去の名勝負といわれる、ほとんどの試合のビデオ分析に取りかかった。確信が思い込みではないことを確かめるためだ。
ビデオは1フレーム(30分の1秒)単位まで分析……60分フルタイムの試合=10万8000フレームの分析には1週間を費やした。万里の長城に積み上げられた石を、ひとつひとつ数えていくような果てしない作業。だが、新鮮な発見の連続だった。
ミクロ単位まで拡大して初めて見えた猪木プロレスの核心は、シビアな格闘技の技術と駆け引きそのもの。微妙な体重移動を使ったボディコントロール。柔らかい足首のフックを巧みに用いた攻撃と防御のテクニック。死角をついた急所攻撃の裏技……。
さらに、私は、山本小鉄、藤原喜明、佐山聡、石澤常光といった歴代のスパーリングパートナーを訪ね歩き、猪木がスパーリングで使っていた「極め技」について証言を求めた。実際に、猪木には道場でスパーリングも見せてもらった。そして、明らかになった猪木の真の極め技は……「フィギアフォー・ボディーシザース」という、拍子抜けするほど単純な技であった。
私は誰も知らない猪木の秘密を探り当てたような気がして、しばらく興奮がさめなかった(余談だが、後年、PRIDEでノゲイラがタフなヒーリングをボディーシザースで失神寸前まで追い詰めた場面を見て、その時の感激と興奮を思い出した。ノゲイラの足首のフックは、実に猪木そっくりだったのだ)。

その頃である。猪木が「ファイティング・アーツ」という言葉や格闘技への回帰を口にし始めたのは。私は、内心、自分が猪木に影響を与えているキーパーソンになったような気がして面映かった。しばらくして、猪木事務所からUFO(世界格闘技連盟)の基本コンセプト作りの依頼を受けるに至っては、自分が猪木そのものになったような全能感さえ抱いた。だが、それは錯覚だった。UFOは旗揚げから迷走。そして私は「イノキの穴」の入り口を封印。猪木とは違う、自分だけが歩むべき道の模索を始めた。

それから3年半——つい最近、猪木に再会した。
初めての小説を上梓したことを報告すると、
「行くべきところに行ったわけだねえ」——あの人なつこい笑顔を向けられた。
その時、私は、やっと本当に自由になれたのだと思った。
「マルコビッチの穴」の主人公は、いつしかマルコビッチ自身になり代わりたい欲望にかられ、そしてそれを実行した。しかし、結局、彼は他人の頭の中で、身動きひとつとれない囚われの身となって映画は終わる。
「イノキの穴」も同じだ。そう、一度でもその穴を覗いた者は、必ず自分を捨てて猪木になり代わりたいという妄想に支配されてしまう。思い起こせば、猪木にはそんな人間たちが群がり、そしていつも消えていった……。
私は「イノキの穴」から生還した。(文中敬称略)■


そしてさらに4年……再び、私は同じ思いを味わっています。
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by leicacontax | 2006-02-17 00:32 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(27)