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2016年 06月 05日
モハメド・アリとアントニオ猪木
 モハメド・アリが亡くなった。
 これまで、アントニオ猪木の強い影響を受けて生きてきた者として、この出来事に関しては何かを書き記しておかなければならないと思い、久々にブログを更新することにした。なぜなら、アリとの異種格闘技戦なくしてその後の猪木の存在はなく、極論すれば現在の格闘技界の姿も、あるいは今の自分の人生もなかったからである。
 今さらながら思う。そもそもアリはなぜ猪木と闘ったのだろう?
 当時、プロボクシングの世界ヘビー級チャンピオンの権威は絶大。とくに反人種差別主義の象徴でもあったアリはアスリートを超越したアメリカの英雄だった。その彼が東洋の島国のプロレスラー──アリの立場からすれば日本のプロレスラーなど眼中にはない──と試合を行うことに、もとよりメリットは全くなかったはずだった。
 もともと、猪木との対戦プランはアリの「100万ドルの賞金を用意する。誰か東洋人で俺にチャレンジしてくる勇気のある奴はいないか?」というお得意の〝ビッグマウス〟に端を発していた。もちろん、アリ一流のジョークだ。当然、マスコミもその発言を本気にしておらず、あくまでネタの一つとして軽く取り上げられたに過ぎなかった。だが、真に受けて挑戦状を送った人間が世界に一人だけいた。それがアントニオ猪木だった。
 しかし、〝総合格闘技〟という概念が欠片もない時代、異なる格闘技の王者同士の対戦は空想でしか許されなかった。あらゆるスポーツがそうであるように、試合形式やルールという〝枠組み〟があって初めて〝対戦〟は可能になる。紆余曲折を経て猪木・アリ戦が実現したこと自体が奇跡とされたのはそのため。最終的に猪木が圧倒的不利なルールを飲んで試合に臨まなければならなかったのも、両者の力関係を考えれば無理からぬこと。ボクサーとレスラーがフェアな形で対戦できる枠組みが存在しない以上、無理やりにでも試合を成立させるためには、当時でいえば猪木の側がプロボクシングの権威とモハメド・アリの絶対的ネームバリューを前に百歩譲る以外に方策はなかったのである。
 
 冒頭の疑問に戻る。猪木側がアリに提示した300万ドル(当時のレートで約9億円。実際には直前でのルール問題の紛糾などの契約不履行を理由に180万ドル=5億5000万円で決着)というファイトマネーはたしかに大金だった。が、アリにすればさほど魅力のある金額ではなかったはずで、そもそも危険を冒してまで得体の知れないプロレスラーと対戦する理由にはならなかった。もっともアリは来日するまで猪木戦をエキシビションと考えていたというから、〝プロレスごっこ〟をしてそれだけ稼げるのであればビジネスとして格段に割がいいという判断はあったようだ。というのも、それまでアメリカで行われていた〝ミクスドマッチ〟(異種格闘技戦)はすべてプロレスのリングで行われたエキシビション。リタイアしたボクサーの小遣い稼ぎに過ぎなかったからだ。
 つまり、アリにはこれっぽっちもプロレスラーが自分に真剣勝負を挑んでくるという発想がなかった。裏返せば、アリは猪木の挑戦をプロレスラーのパフォーマンスとたかをくくっていたからこそ日本にやって来た(ご丁寧にも、アリは来日前にプロレスのリングに飛び入り。ゴリラ・モンスーンとエキシビションマッチまで行っている)。ただ、それが大きな誤解だと理解するや、アリは一転して冷静に猪木というレスラーの格闘家としての実力を精査。そして危険な相手と認めたからこそボクシング絶対有利の変則ルールを突きつけたのだった。
 もともとアリはプロレスやプロレスラーを見下してはいなかった。そもそもアリのトレードマークのビッグマウスも戦後アメリカマット界でスーパースターとして君臨した〝ゴージャス・ジョージ〟の物真似。アリはプロスポーツが興行である以上、発言やパフォーマンスも重要な武器になりうることをプロレスから学び、身を以て実践した最初のプロボクサーでもあった。さらに言うなら、黒人に対する社会の偏見と闘っていたアリは弱者や他の有色人種にもシンパシーを抱くことこそあれ、敵視したり蔑視したりすることはなかった。ベトナム戦争への徴兵をボクサー生命と引き換えにしてまで断固拒否した態度にもそれは現れていたが、ボクシング界復帰後もアリはヘビー級王者の権限を最大限に活かし、チャレンジャーを世界中から指名。ヨーロッパやオーストラリア、アメリカ国内でもマイノリティに属する白人(たとえば〝ロッキー〟のモデルになったチャック・ウェップナー)選手にも積極的にチャンスを与えるなど、リング上で偏見の存在しない理想世界を体現していたのだった。
 
 これは私の推論だが、アリは猪木にも同様のチャンスを与えたのだと思っている。アリはヘビー級ボクサーがほとんどいない東洋において、その役割を猪木に仮託したのだ。当初こそエキシビション程度の軽い心構えでいたかもしれないが、ともあれ、たしかにアリは猪木の本気を受け止めた。だからこそ、リアルファイトの異種格闘技戦という何が起きるかわからない前人未到の闘いに踏み込むことを決心したのだ。そう思うと、アリが猪木に突きつけたボクシング寄りの変則ルールの理由もわかる。つまり、アリはプロボクシング世界ヘビー級王者として一切の妥協をしないことで、逆に猪木を正式にチャレンジャーとして認めたのである。
 猪木・アリ戦は試合直後こそ〝世紀の凡戦〟と揶揄され、プロモーターでもあった猪木は40年前の金額で4億とも6億ともいわれる莫大な借金を背負わされた。しかし、結果として猪木はそれを補って余りある世界的名声を手に入れた。少なくとも、アジア圏においてモハメド・アリと闘った男はアントニオ猪木ただ一人。のちにその称号は湾岸戦争時の人質解放の際にも大きな効力を発揮したように、猪木にある種の〝神憑り〟や〝神通力〟をもたらしたのだった。
 アントニオ猪木をアントニオ猪木たらしめたのはモハメド・アリだった。
 アリが天に召された今、私はあらためてその思いを強くしている。
 合掌。
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by leicacontax | 2016-06-05 16:14 | Comments(8)
2010年 09月 27日
TJさんへの回答。
みなさんから自由に書き込みをいただいている〈『33年ぶり!! 猪木・アリ 異種格闘技世界一決定戦 死闘の舞台裏』を見た。〉のコメント欄がそろそろいっぱいになってきましたので、あらためましてここにTJさんへの回答という形で、最近、私が格闘技やアントニオ猪木について感じたことを久々に記します(コメント欄でも回答済みですが一部補足しました)。

>木村さん、ごぶさたしています。
UFCでのフランク・ミア v.s. ミルコ ですが、フランク・ミアってほんとうに強いのだな、って思いました。
それと、石井ですが、やっと猪木のところにアドバイスをもらいにいったようですね。猪木のタオルをかけて猪木のテーマを使わせてもらっている以上、どうしても負けられない、という決意がくみ取れました。

TJさん、こんばんは。
ミルコ選手が柔術系のミア選手に膝蹴りでKOされたというのはかなりショッキングでした。
レスナー選手を破ったこともある実力者のミア選手ですから、その結果には驚きませんでしたが、私はいまだにミルコ選手が本来の実力を発揮しきれずにいることが気になっています。案外、命の危険を省みない職業を経験したことのある、あるいは本物の戦場に生まれ育ったミルコ選手のような人間は、逆にすべてが管理された金網でのファイトには不向きなのではないか・・・ふとそんな気がしたのです。

というのも、ミルコ選手が活躍してきたK-1やPRIDEのリングでは、いざとなれば体の一部だけでも場外へ逃がすことができたし、ロープ際でのストップ・ドント・ムーブなどのルールも同様に利用することが可能でした。プロレスの反則ファイブカウントやロープブレイクや場外へのエスケープほど自由ではないにしても、K-1やPRIDEにも同様の曖昧なニュアンスは残されており、百戦錬磨のファイターほどそれを巧みに使いこなしてダメージを防いだり戦局をコントロールしたりしてきたことは間違いありません。

元々、真剣勝負とは勝つ為にはなりふりかまわない、端から見れば身も蓋もないものです。喧嘩や果たし合い、あるいは命のやりとりのような極限状況の闘いになればなるほど、相手の意表をつくこと(試合ならルールの間隙をつくこと)が勝利の重要な鍵であることは、〝真剣勝負の神〟宮本武蔵の数々の果たし合いにおける非道や卑怯にさえ見えるシビアな戦術を振り返るまでもなくあきらかです(武蔵は勝って生き残るため、つねに闘いの現場の状況や気候や対戦相手の心理まで計算し尽くし、絶対に自分が不利な状態では闘わなかった)。

しかし、UFCに代表される現代の総合格闘技はリアルファイトであることを視覚的に強調するため、逃げ場のない金網ファイトを考案しました。オクタゴンと呼ばれる八角形の金網の内側はファイトに集中するしかない究極の格闘空間となり、その空間においてもっとも有利で効果的な技術だけがさまざまな格闘技から取捨選択され、洗練されたことによって競技としての完成度は一気に高まりました。しかし、興行の規模が拡大するにつれ、事故を完璧に回避する必要にも迫られ〝フリーファイト〟のイメージとは裏腹に細部まで管理された闘い=スポーツとなっていった。つまりUFCはあくまでボクシングに代表される近代格闘技の定義の拡大に過ぎないわけで、私には正直、ミルコ選手のUFCにおける闘いも、K-1やPRIDE時代よりもスポーツライクにしか見えないのです(良くも悪くも、日本の格闘技イベントにはスポーツに収まりきれない何かがある、と感じるのは私だけでしょうか)。

石井彗選手に『炎のファイター』と『闘魂タオル』の使用が許可された件については、はっきりいってなんだか釈然としません。
というのは、プロレスという限界を設定しない枠組みを用い、格闘技からショーから喧嘩から、時には命のやり取りまで辞さない闘いをやってみせてきたアントニオ猪木と、柔道は柔道、総合は総合、プロレスはプロレスと、いちいち区別して考えるのが常識となった、いまどきの格闘家の思考から一歩も出られそうもない(事実、彼の窮屈そうなファイトがそれを体現している)石井選手とでは根本が違い過ぎます。
たぶん、総合格闘技に憧れて育った世代の石井選手には、かつてのプロレスやそれを自由自在に操ったアントニオの感性は土台からして理解不能・・・私にはそうとしか思えないのです。
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by leicacontax | 2010-09-27 23:17 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(27)
2009年 02月 08日
『33年ぶり!! 猪木・アリ 異種格闘技世界一決定戦 死闘の舞台裏』を見た。
 昨晩放送の『テレビ朝日が伝えた伝説のスポーツ名勝負 〜いま明かされる舞台裏の真実〜 33年ぶり!!猪木・アリ 異種格闘技世界一決定戦 死闘の舞台裏』を見た。
 アントニオ猪木が33年ぶりに初めてフルラウンドの試合VTRを見てコメントするというのが番組の売りだった。だが、そちらの方は残念ながら肩透かし。『アリは不当に薄いグローブ(4オンス)を着用のうえに中のバンテージもシリコンで固めていたらしい』とか『がんじがらめの変則ルールを呑まされた猪木陣営もシューズに薄い鉄板を仕込もうとした』とか、語られた内容は猪木ファンなら周知の事実。私も猪木本人に何度もインタビューしたうえで、著書の中で繰り返し書いてきた話だった。
 しかし、猪木を15ラウンド寝て闘わざるを得ない状況に追い込んだ肝心の変則ルールが『なぜ試合前に観客や視聴者に説明されなかったのか?』あるいは『なぜ実況中継の中で一言も触れられなかったのか?』という長年の謎は解けた。

 この世紀の一戦が大凡戦と酷評された最大の原因はいうまでもなくプロレス技のほとんどを封じたいびつなルールなのだが、私はそれに加え、当日のテレビの生中継でアナウンサーが説明責任を怠った点も大きかったと思っていた。
 その点については十数年前、当時、猪木・アリ戦を担当したテレビ朝日のプロデューサーに直接取材したことがある。が、はっきりした回答は得られず、私はてっきり、テレビ局側の不手際を認めたくないがゆえの保身の態度かと苦々しく受け止めていたのだが──事実は違っていたのである。
 番組中、VTRでインタビュー出演した、当時、アリ側と直接交渉を行った新間寿氏の言によれば、変則ルールを呑んだ際「一切、ルールについては事前に公言しないこと」と念押しをされ、よってアナウンサーにもその事実は知らされないまま実況中継が行われた──それがことの真相だったのだという。なるほどそうだったのかと、ようやく納得できた。

 この番組で久しぶりに猪木・アリ戦の全体像を振り返って、あらためてプロレスラー・アントニオ猪木の凄さを再確認した。
 おそらく、最近の格闘技しか知らないファンには、アリ戦を実現するために20億円(あくまで当時の20億。現在の貨幣価値ならその数倍に相当する)もの巨額の資金調達に自ら奔走し、しかも試合ではまったく不利なルールを全面的に受け入れてまで試合を実現させた猪木の行動は意味がわからないに違いない。

 近年、プロスポーツの一流選手ともなれば、プレイに専念できるよう、周囲のスタッフやエージェントなどがありとあらゆるお膳立てをするのが当り前になっている。格闘技も然り。総合格闘技というジャンルが確立し、UFCをはじめとする幾つかの世界的組織が力をつけて以降は、格闘家も金やルールといったもっとも厄介な問題で頭を悩まし、神経をすり減らすことなくファイトに専念できるようになった。結果、さまざまな格闘技のチャンピオン同士の闘いの実現が、そう難しいことではなくなったわけだが、猪木・アリ戦は、そんな常識化した格闘技とは対極の一戦──あらゆる意味で前例のない、常軌を逸した『あり得ない闘い』だった。

 仮に、モハメド・アリに並ぶステイタスを持つプロボクシングの現役ヘビー級チャンピオンがいま存在したとして(当時のアリはジャンルを超越したアメリカの国民的英雄)、その選手がUFCや他の格闘技のチャンピオンと闘うだろうか?
  UFCがどれだけ人気を高めたとしても、ボクシングのヘビー級王者から見ればまだまだマイナーだ。スポーツ界におけるステイタス、ファイトマネーなどの面から考えて、ボクシングの現役チャンピオンには他の格闘技のリングに上がらなければならない理由はどこを探しても見つからない。どっちが強いかはっきりさせようなどという男のロマンも、相手を同格と認めないことには浮かばない発想だ。もし、よしやろう、となったとしても、そのときは当然、相手にはボクシングルールを要求するに決まっている。それは『格上』の者からすればきわめて常識的発想で、実はアリが猪木に突きつけたルールも、見方を変えればボクシングルールで闘えという命令に過ぎず、そこには『アンフェア』で『理不尽』な『変則ルール』を押し付けようなどという意図はそれほどなかったように思う(アリに怪我をされては困るブレーン達の考えはまた別だったろうが)。自他ともに認めるスーパーアスリートのアリにとって、ボクシングルールは曲げられないプライドそのものだったのは間違いない。

 そもそも、エキシビションを除き、異なる格闘競技者が観客を前に真剣勝負で闘うという概念すら存在しなかった時代、幅広い技術体系を持つプロレス(しかも猪木はカール・ゴッチから受け継いだキャッチ・アズ・キャッチ・キャンという格闘技術をベースにしたシュートテクニックを持つ)と、パンチの攻防に特化された特殊な競技ゆえスポーツとしてステイタスを得たボクシングの勝負は、現実に競技として行うとなれば、もっともイメージが難しい水と油の組み合わせ。しかも、かたや世界的スーパースターのモハメド・アリ。それらを考え合わせれば、やはり、猪木・アリ戦は実現した時点で奇跡的出来事だった。

 話を戻すなら、私があらためて再確認したアントニオ猪木の凄さとは、その奇跡を、プロモーターとしてファイターとして、あらゆるリスクをすべて引き受けることで自ら起こしてみせたエネルギー、覚悟、夢への執念に他ならない。ちなみに猪木は、アリ戦の直後、日本国内だけでなく世界中からバッシングされたうえに当時の金額で4億円以上の負債を抱えた。それでも、やりたいことがあればどんな犠牲を払ってでもそれに邁進する猪木の姿勢は何一つ変わらなかった。

 思い起こせば国会議員として行った湾岸戦争時の命懸けの人質救出然り(ほとんど知られていないが、あの時の飛行機のチャーター費用も猪木が私費を投じたものだった)、世界の食糧事情やエネルギー事情を見据えた壮大な事業然り、アントニオ猪木はリングを離れてもずっとアントニオ猪木であり続けている。こんな人間、やっぱり他にはいない。

 プロレスファン、格闘技ファンとしては、その巨大なエネルギーのすべてを、もし、プロレスや格闘技だけに注ぎ続けてくれていたら、あるいはもっと凄いファイトが幾つも観られたのではないかという思いもある。が、それはないものねだりだ。
 猪木は言っていた。
「もしアリ戦で私が勝っていたら、その時点で引退するつもりでいた」
 アントニオ猪木にとって、アリ戦はファイターとして究極の夢。それがああいう形で終わってしまった以上、もはや、リングに人生を懸ける夢はなかったのだ。
 私は思う。
 競技として整備され、常識化した総合格闘技では、猪木・アリ戦のような夢は、おそらく二度と見られない。
 人間の本当の強さは、勝ち負けを超えたリスクの存在なくして推し量ることはできない。私はそれを、あの二度と見られない奇跡の闘いに学んだ。(文中敬称略)
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by leicacontax | 2009-02-08 12:43 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(40)
2008年 12月 07日
K-1のこと。IGFのこと。久々に思いきり語りたくなった。〈その2〉
さて、次はプロレスについて。
少し前になるが、名古屋で行われたIGFの「GENOME7」をTV観戦した(11月24日スカパーにてペイパービュー)。
GENOME7のテーマは「原点回帰」。そして大会の見所はなんといっても旧UWFインターナショナル勢(高山善廣選手、金原弘光選手、松井大二郎選手)と初代タイガーマスク選手、藤波辰爾選手の初参戦だった。
新日ストロングスタイル及び、その流れを汲むUWFスタイルを身に付けた彼らが、すべての原点であるアントニオ猪木が新たに作り上げたIGFというリングでどんなファイトを見せるか? 
個人的には、この参戦によって何も生まれないようであるなら、もはやIGFに先はないような気がしていた。

1年半前にIGFが旗揚げされた際のメインテーマは「プロレスの復権」。
しかしながら、毎回、IGFのリングで繰り広げられるファイトからは一向にプロレス復権の具体的な方法論が見えてこなかった。
ジョシュ・バーネット選手、高橋和生選手、タカ・クノウ選手といった、たしかな格闘技術をベースにした選手たちによる格闘技テイストのプロレスや、あるいは圧倒的身体能力を利したザ・プレデター選手やモンターニャ・シウバ選手のモンスターファイトなどは、時折、往年のストロングスタイル・プロレスが醸し出していた怖さという香りを漂わせていて可能性を感じさせた。とはいえ、それはあくまで個々の力量のなせる技。IGFという団体のプロデュースによるものでないことはあきらかだった。
それがである。「GENOME7」に至って、初めてIGFの掲げる「プロレスの復権」の方法論がはっきり見えたのだ。

まず気付いたのが、視界を遮り、観客の集中力を殺いでいた「照明用の鉄骨の柱」とステージからリングへ続く「花道」が撤去されたこと。そして現れたのは──’80年代まで長年我々が親しんでいたプロレス会場の風景。会場という空間からして、目に見える形で原点回帰が具現化されたのである。
そんなことか、と笑う人もいるだろう。しかし、侮るなかれ。これは緊張感を生み出す上でかなり重要なポイント。

選手入場というのは、観客にとって期待感が最高潮に達する瞬間だ。これはボクシングも格闘技もプロレスも変わらない。戦場に向かう選手の緊張感とそれを見守る観客の期待感が重なり合い、共同で会場のボルテージと集中力を高める重要な儀式の時間。この気持ちを合わせる儀式がうまくいってはじめて試合開始と同時に観客もじっくり試合に集中する事が可能になる。ところが、’90年代以降、ドーム球場や巨大アリーナで興行が行われるようになり、選手登場からリングインまでの過剰ともいえる演出が当り前になると──儀式は次第に形式と化してしまった。

演出そのものは否定しない。単純に楽しいと思う。しかし、演出とはそもそも本筋部分を盛り上げるための工夫であり、あくまで主役である選手登場に添えられる彩り。それ自体が見せ場ではない。ところが、姿を現すだけで勝手に周りが盛り上げてくれるようになったせいで、選手はあたかもそれが自分の仕業であるかのように勘違いして自分を見失っていく。

ボクシングや格闘技の場合、花道の向こうに待っているのは必ず勝利か敗北かという過酷な結果だ。したがって、花道や演出があろうがなかろうが、選手の心構えに揺るぎはない。観客もそれを十分承知しているから演出に気を取られて緊張や集中を切らすことはない。
ところが、プロレスは違う。勝ち負けという結果そのものにさして意味を持たないプロレスは、選手自身がしっかりと緊張感や決意のようなものを抱いて花道を歩かなければ途端に演出に呑み込まれてしまい、観客も演出を楽しむうちに集中力を欠いてしまう。
ゴングが鳴ってから集中力散漫になった観客の注意を惹くのは至難の業だ。それに花道という大掛かりな装置や派手な演出に呑み込まれないプロレスラー自体、そもそもそうざらには存在しない。歌舞伎や演劇といった人目を惹いてなんぼのプロフェッショナルたちの世界でさえ、長い花道に負けない存在感を示せる華のある役者はごく一握り。逆に言えば、花道というのは、そこを歩かされたが最後、器量のほどが丸裸にされてバレバレになってしまう恐ろしい場所なのだ。

しかし、自分を見失ったレスラーはその恐ろしさに気付かないまま花道を緊張感なく単なる通路のように歩き、観客はそのあまりに普通過ぎる姿を見て冷めてしまう・・・そんなことがずっと当り前に繰り返され、慢性的に会場の盛り上がりに水を差し続けていた。
IGFが花道をなくして昔ながらの選手入場に戻したのは、したがって大正解。だいいち、群がるファンの間をかき分けてレスラーが登場した方が見た目に一体感があり、試合そのものに期待感を直結させやすい。

そしてGENOME7の最大の収穫。それは第1試合から第3試合のいわゆる前座試合にあった。
第1試合「金原弘光vs.鈴木秀樹」、第2試合「浜中和宏vs.松井大二郎」、第3試合「アレクサンダー大塚vs.タカ・クノウ」。この日がデビューの鈴木秀樹選手(UWFスネークピットジャパン)に第1試合から実力者・金原弘光選手が胸を貸すというマッチメイクは絶妙。リングスではエースも務めた金原選手という高い壁を相手に、初めての試合で持てる力のありったけをぶつけることができた鈴木選手は幸せだったと思う。鈴木選手は体もしっかり出来上がっていて、随所にビル・ロビンソン譲りのキャッチ流の本格テクニックも披露。第1試合で久々に見た静かで熱いレスリングの攻防は、まさにかつての新日本の緊張感を彷彿させたし、それは観客にも伝わっていたように感じられた。

第1試合で引き締まった雰囲気は、そのまま第2試合、第3試合にも引き継がれる。
浜中選手と松井選手は元同門。双方ともPRIDEで総合経験もある。しかしながら、いままでのIGFの場合、総合経験者同士の試合はどうしても疑似格闘技スタイルに流れがちで、必ずしも迫力に結びついていなかった。
それはどんなに内容のある攻防をしても、総合スタイルを意識してパンチを繰り出した途端に観客がしらけ、逆にそれまでのすべてが嘘に見えてしまうという最悪のパターン。いっそのことグローブ着用をいっさい禁止し、従来のプロレスと同じ平手の張り合いに戻した方がよほど迫力があると感じていたのは私だけではなかったと思う。
が、浜中vs.松井の試合はそんなうわべだけをなぞった中途半端さは微塵もなく、気迫を前面に出した両者のファイトは、かつてのストロングスタイルプロレスに垣間みられた、闘っている者同士にしかわからない駆け引き──もうひとつの見えない闘いの存在を感じさせた。おそらくはそれが気迫となって観る者の心にも届いたのだろう。この試合、文句なく、IGFおける浜中選手のベストバウトだった。

玄人ファンなら誰もが認めるアレクサンダー大塚選手と、どこか劇画チックな地下プロレスを想起させる柔術家タカ・クノウ選手の試合も見応えがあった。
IGFでプロレスラーとしてデビューして以来、レギュラー出場を続けているタカ・クノウ選手は、その高度な柔術テクニックによって毎回観客を唸らせてきた。しかし、プロレスラーとしてのキャリアの浅さと、相手にもテクニックがあってはじめて噛み合うテクニシャンの宿命か、これまで必ずしも持ち味を発揮していたとはいえなかった。それがアレクサンダー大塚という懐の深いレスラーを相手にしたことで、流れる様に美しい柔術の技を存分に繰り出すことができた。高い技術を引き出し合う駆け引きもまたストロングスタイルの醍醐味。その意味において、この一戦も紛れもなく原点回帰というテーマを体現することに成功していた。

第5試合「ザ・プレデターvs.ネクロ・ブッチャー」、第6試合「高山善廣vs,モンターニャ・シウバ」はプロレスのもう一つの面白さである喧嘩ファイトとスケールの大きなモンスターファイトの魅力満載。それぞれの選手の持ち味が存分に発揮されていて、かつ、開放感満点の、これぞプロレスだった。

セミファイナル「藤波辰爾vs.初代タイガーマスク」。
10分1本勝負というエキシビションながら、一世を風靡したプロレス界のスーパースター同士の初対決はまさにレジェンド対決。遅過ぎたことは否めないし、そんなことは誰しも百も承知。が、このカードの背景にはアントニオ猪木を中心とする離合集散の大河ドラマのような愛憎劇も横たわっており、長年プロレスを見て来た者にとって、この一戦は歴史の総括でもあった。

はたして、試合は濃密なストロングスタイルの好勝負となり、10分はあっという間に過ぎてしまう。たしかな技術の応酬はそれだけで観る者を魅了する。
相手の技術を封じ込めた者が勝つ格闘技や他のスポーツから見れば、それは馴れ合いやインチキにしか見えないかもしれない。しかし、そこで交換される技の一つ一つが説得力のある本物ならば、それを観客に提供するメインディッシュに据えたとしても決して不純ではないし、潰し合いとは別次元のれっきとした格闘技たりえると私は思っている。
若き日、カール・ゴッチとアントニオ猪木から強さを叩き込まれた藤波辰爾と初代タイガーマスク。両雄の高度で味わいのある技の応酬は、いつまでも見ていたいと思わせる美しさがあった。

「GENOME7」の成功は、もちろん選手達の力によるものだ。が、おそらく、今回それらを引き出した影の功労者は、終始リングサイドから選手に鋭い視線を送り、檄を飛ばしていた宮戸優光氏の力によるところが大だと思われる。
自らが主宰するUWFスネークピットジャパンでビル・ロビンソン氏と共にストロングスタイルプロレスの根拠であるヨーロッパ伝統の格闘技術「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」の継承に心血を注いでいる宮戸氏が新たにIGFのリングゼネラルマネージャーに就任したことで、氏を信頼するUインター勢の参戦も可能となり、キャッチの技術をあらためてプロレスに再注入できる道筋も立った。
さらに言うなら、宮戸氏はトレーナーとして技術を知り尽くしているだけでなく、かつてUインターの仕掛人として数々のビッグイベントを成功に導いた手腕も兼ね備えている。IGFの会場にピンと張り詰めた空気が生まれたのはその現れ。ペイパービューの実況中継の放送席から軽薄なゲストやおちゃらけたノリが消えたことも、おそらくそれと無関係ではないように思う。

追記
ちなみに3日前、後楽園ホールに初代タイガーマスク・佐山聡さんのリアルジャパンプロレスの大会を観に行った際、会場で宮戸氏とお会いした。宮戸氏とは1年ちょっと前に雑誌のインタビューでお話を伺い、そのプロレス観に感服して以来の再会。挨拶を交わした後、「このまえのIGFの大会、とてもよかったです」と言うと、「いや、まだまだです」という頼もしい答えが返ってきた。
その日は元週刊プロレス編集長のターザン山本さんとも10年か11年ぶりに会えて旧交を温めることができた。山本さんもことのほか喜んでくれて、しばし、昔、一緒に食べたすきやきの話題などで盛り上がった。こういう楽しいひとときも開放的なプロレス会場ならでは。やっぱり、プロレス観戦は生に限る(笑)。
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by leicacontax | 2008-12-07 21:25 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(22)
2007年 06月 29日
IGF〜プロレスの可能性とは何か?
紆余曲折を経て、ついに旗揚げを迎えたIGF(イノキゲノム・フェデレーション)をペイパービュー観戦。序盤こそちぐはぐで急拵えの感を拭えなかったものの、出場が危ぶまれたブロック・レスナー、カート・アングル、そしてジョシュ・バーネット、マーク・コールマンらの活躍のおかげで見所は満載。IGFが何を目指しているのかは旗揚げ戦を観終わった今でもまだ理解不能だが、ひとつだけはっきりしたことがあった。それは格闘技であれプロレスであれ、本物は凄い! という当り前の事実だ。

途中までとくに駄目な試合はなかった。が、それでも、どうも妙な違和感があっていまひとつ乗り切れず、はじめ、私はそれを久しぶりのプロレス観戦のせいかと思ったのだが──レスナー対アングルのメインイベントを観ている途中、はっきり、違和感の正体に気付いた。

乗り切れない。しっくりこない。その引っかかりはどこから来ていたのかというと、それは以前なら十分承知の上で観ていられたプロレス独特の技を受けるという不合理のせいだった。
技の決まるカタルシスがなかったらプロレスはプロレスでなくなるし、今さらそんな初歩的な矛盾をあげつらってプロレスを否定する気はさらさらない。しかし、それでも、危険な技や痛そうな技が決まる度、どうしてそれを受けてしまうのか? そんな疑問が頭に浮かんで集中できない。つまり、何十年もプロレスを見続けてきたこの私でさえが、知らず知らずのうちに、すでに合理的で無駄のない格闘技の構造を物差しにしてプロレスを観るようになっていたと、そういうわけなのだ。最初から格闘技を見慣れている若い世代がプロレスに見向きもしないのは、したがって当然のこと。プロレス復興をテーマに旗揚げしたIGFを観ながらそんなことを考えてしまったのは、実に皮肉であった。
 
ところが、だ。そんな引っかかりはジョシュ・バーネットやマーク・コールマンの試合ぶりからはまったく感じられず、レスナー・アングル戦に至っては互いの協力がなければ決まるはずのない大技連発に驚きと爽快感さえ覚えた。これはどういうことか?
答えは簡単。彼らの肉体と確かな技術が醸し出す圧倒的説得力の前に、そんな疑問など何の意味も持たなかった──ただそれだけのことだった。
彼らが今夜披露したプロレスはそれぞれスタイルの違いこそあれあくまでプロレスであり、決して格闘技擬きのプロレスではない。バーネットのプロレスはストロングスタイルのプロレステクニックを駆使したプロフェッショナルなレスリング。格闘家コールマンは自らの原点であるアマレスのテクニックに比重を置いたクラシカルなアメリカンプロレス(意外なくらい雰囲気があって格好良かった!)。そしてレスナーとアングルは彼らの肉体とパワーでしか表現できないスケールの大きなスペクタクルプロレス。日本のレスラー達も緊張感あるプロレスを披露したとは思うが、猪木さんが新団体を旗揚げしてまで世間に伝えたかった『プロレスの自由』、『プロレスの可能性』を観客に知らしめるには程遠い内容だったように思う。とくに小川直也は、橋本真也のテーマ曲での入場といいUFO当時と少しも変わらないファイトスタイルといい、すべてが過去に向いていて『今』を感じさせず、それが残念でならなかった。

とにもかくにも、本物の凄みがジャンルを超えることを提示出来たIGFの船出は、それだけで成功だったように思う。
レスナー、アングル、バーネット、コールマンらと小川の落差は気になる。が、どうだろう、IGFが本当の意味でグローバルを目指す団体ならば、無理矢理、旧態然とした日本人エース至上主義を取る必要はどこにもない。むしろ格闘技をスタンダードに育った若い世代へのアピールを狙うのならば、PRIDEやK-1がそうであったように選手の肌の色など無意味。つねに本物の説得力を持つレスラーこそエースに据えるべき。そうでなければ、せっかく証明されたプロレスの可能性が水泡に帰してしまう。この成功を、IGFは一夜限りの祭に終わらせてはならない。(文中敬称略)
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by leicacontax | 2007-06-29 22:35 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(12)
2006年 04月 30日
今日のCD/いつも一緒に
いつも一緒に/倍賞美津子

〝炎のファイター〟B面に録音されている幻の名曲。
イノキ・ボンバイエのスローバラード・バージョン。
なかにし礼が日本語詞を作詞し、唄うは倍賞美津子!
涙なくして聴けない曲だが、残念ながらCD化はされていない。
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by leicacontax | 2006-04-30 00:00 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(4)
2006年 04月 29日
今日のCD/炎のファイター
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炎のファイター〈アントニオ猪木のテーマ〜INOKI BOM-BA-YE〉
/演奏 アントニオ猪木とザ・ファイターズ

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アントニオ猪木のテーマ〈ALI BOMBAYE〉/MANDRILL and MICHAEL MASSER


最近、猪木の話題がないとお嘆きの貴兄へ、GW特別企画!(笑)
画像は(上下共)アナログEPレコード盤ジャケット。
上がイントロバックに「イノキ、ボンバイエ!」というシュプレヒコールと猪木本人による「ファイト!」という掛け声が入っているおなじみの会場使用バージョン。下はモハメド・アリの伝記映画「アリ・ザ・グレーテスト」の主題曲音源バージョンで、シュプレヒコールも「イノキ、ボンバイエ」ではなく「アリ、ボンバイエ」。当時の猪木人気にあやかってジャケットだけこしらえてテーマ曲として発売された企画モノ(猪木と一緒に写っているのは〝世界の名レフェリー〟レッドシューズ・ドゥーガン!)。上のオリジナルEP盤は希少ではあるものの後にCD化されて今でも曲は聴けるが、下はおそらく音源そのものが幻。両方持っているのが、私のささやかな自慢です(笑)。

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*5/1情報追加。
ちなみに、上は「アリ・ザ・グレーテスト」のDVDジャケット写真。
4年前に猪木さんの取材でロスへ行った際、現地のCDショップで発見して購入(中古品)。
しかし、残念ながらリージョンコードの関係で日本では見られず。
中身は観たことありません。

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*5/2情報追加。
新日本プロレス・ロス道場に飾ってある「猪木・アリ戦」プログラム(?)。
全盛期のアントニオ猪木の体型って、ホント、ルー・テーズにそっくりです。
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by leicacontax | 2006-04-29 00:10 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)
2006年 04月 08日
格闘家 猪木の実像〜その6
〈格闘家 猪木の実像〜その6 猪木が人生最大の痛みを味わった技〉

 アントニオ猪木にこんな質問をしたことがある。
「今までにかけられた技で一番痛かった技はどんな技ですか?」
 しばらく考えた後、猪木はこう答えた。
「昔、カール・ゴッチさんとスパーリングした時、俺が下で俯せになってガードしてると、顎にすごい衝撃があって口の中がざっくり切れたことがあったんですよ。グラウンドでは完全にガードの状態に入られてしまうと相手の体は根が張ったみたいに動かなくなる。いくらゴッチさんといえども、その状態になると簡単に技はかけられない。それで、拳骨で顎を打って、そのまま抉るように擦りつけたわけですね。一瞬、打たれた衝撃で隙が出来るでしょう? そこで技に入ろうとしたんですよ。ゴッチさんにしてみれば、俺なんかは若造でしたから一発で極めなければ気が済まなかったんでしょう」
 亀の状態の相手の体勢を崩すのに拳で顔面を打つのはプロレスにおいて反則。おそらく、ゴッチはフェースロックを仕掛けるように見せかけながら(第三者の目にはそう見えて、実は死角をついて)顔面に一撃を加えたのだと思われる。かつて、新日本プロレスのリングでは相手の頬骨を手首でしごく顔面急所責めが頻繁に見られた。もちろん、その使い手ナンバー1は猪木であり、本気を垣間見せた場面では必ずといっていいほど使っていた。猪木がゴッチに仕掛けられたというそのフェースロックに入る前段階の動作は、どうやら、さらにえげつなさの度を増した裏技テクニックのようだった。

 総合格闘技がブームになりかけた頃、「関節技の鬼」藤原喜明にインタビューした。グレイシー柔術の台頭で俄にチョーク・スリーパーがリアルな必殺技として脚光を浴びていた頃のことだ。
 藤原はチョーク・スリーパーの話になると不適に笑いながらこう言い放った。
「首を絞めるのに、はっきりいって大した技術は要らねえんだ。それより、俺たちがゴッチさんから教わったフェースロックの方が遥かに高度な技術だったんだよ」
 首絞めより顔面の急所を極めることの方が難しい。それは簡単に想像がついた。そして、その時はなんとなくわかった気になっていた。しかし、その本当の意味を、私はゴッチの裏技の話を聞くまで理解できていなかった。
 思い起こせば、伝説のセメントマッチ『猪木・ペールワン戦』においても、猪木はフェースロックの変形ともいうべき裏技を使っていた。アウェイの上にルールさえ曖昧なまま始まった極限の試合。関節を極めてもギブアップしない相手と試合を止めないレフェリーに業を煮やした猪木は、ペールワンの顔面を絞め上げる際、指の関節を立てて目玉を抉った。そうなのだ。猪木や藤原がゴッチから学んだフェースロックとは、掛け方ひとつで完全に相手の選手生命さえ奪う恐ろしい技だった。
 猪木はこうも言っていた。
「総合の試合で、最近、スリーパーは決まらないでしょ? くるのがわかっていれば、首のディフェンスはそう難しくないんだよ。だから俺たちはフェースロックの練習をしたんだ。顎を引けば首はディフェンスできても、顔面は空いてる。今の試合みたいに殴るまでもなく、ゴッチさんがやったように急所に一撃を入れれば隙もできる。スリーパーはそこで入れば決まるんだ」
 まさに目から鱗が落ちた思いだった。
 しかし、最後に猪木はこう言って顔をしかめた。
「ただ、フェースロックは格闘技のグローブを着けてると完璧に極められない。あのグローブは、レスラーの本当の技術を見せるには邪魔なんだ」
 必要とされる技術はルールが決める。緩い決めごとで自由に行われてきたからこそ、かえってプロレスには極限の裏技が必要だった。そしてその裏技は、過激に見えて実は選手の致命傷を極力避けるようにできている格闘技ルールとは相容れないものでもあった。
(文中敬称略/つづく)
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by leicacontax | 2006-04-08 10:08 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)
2006年 04月 05日
格闘家 猪木の実像〜その5
〈格闘家 猪木の実像〜その5 コブラに託した信念〉

 アントニオ猪木の必殺技は何かと問われたら、あなたはどんな技の名を挙げるだろうか?
 「卍固め」、「コブラツイスト」、「延髄斬り」、「ジャーマン・スープレックス・ホールド」、「バックドロップ」、オールドファンなら「フロントネック・チャンスリー・ドロップ」を思い浮かべるかもしれない。
 いずれも、アントニオ猪木の数多の名勝負を締めくくった記憶に残るフィニッシュ・ホールドであり、プロレスの代名詞ともいえる大技である。
 しかし、総合格闘技の試合でプロレス的な大技で勝負が決した試しはまずない。といって、プロレスの大技は見かけ倒しのフェイクかというと、必ずしもそうとは限らない。
 本来、アントニオ猪木が標榜したストロングスタイル・プロレスでは、フィニッシュ・ホールドを繰り出す前段階で勝負は決していた。地味に見えるグラウンドの攻防や観客の眼の届かない死角の攻防。あるいは一発の張り手やパンチで、つねにどちらが強いかの答えは出ていた。その答えを踏まえた上で、レスラーは、あえて、観客にカタルシスを与えるため、もっとも美しい技やスペクタクルな大技を繰り出して試合を締めて見せた。ストロング・スタイルのプロレスは、本来、そんな二重構造になっていたのだ。

 シューティングを主宰していた頃の佐山聡に、「格闘技で使えるプロレス技はあるのか」と質問したことがある。その時、佐山はきっぱりこう答えた。
「コブラツイストは格闘技の試合でもフィニッシュに使えますよ。グラウンドで」
 意外な答えだった。
 それから少し経ち、猪木がファイナル・カウントダウンで行ったウイリー・ウイリアムスとの「決め技限定マッチ」。フィニッシュで使われたのは「グラウンド・コブラ」。多分、それは偶然の一致ではなかった。あの試合、セコンドには佐山の姿があった。そう、あれはプロレスに格闘技を持ち込んだアントニオ猪木と佐山聡の師弟が、プロレスが格闘技の脅威にさらされ始めた時期、「プロレスラーは格闘技とどう闘えばいいのか」というメッセージを込めた試合だったのだ。
 歴史を紐解けば、猪木は実際、1978年6月に行われたモンスターマンとの異種格闘技戦(再戦)において、グラウンド・コブラでギブアップ勝ちを収めている(受けに回っていた初戦と打って変わり、猪木はこの一戦、自らパンチ、キックの喧嘩ファイトに出た。前回の闘いで打撃系格闘家との間合いの感覚を掴み、なおかつウエイト差による優位を確信していた猪木は、プロレスラーの打たれ強さを前面に押し出したファイトスタイルを選択。乱撃戦で相手を崩し、得意の寝技で勝負を決めるという、現在、レスラーが総合を闘う際に用いる勝利の方程式通りの展開で勝利していた)。

 残念ながら、「猪木・ウイリー/決め技限定マッチ」はほとんどの観客に単なるノスタルジーと受け止められ、マスコミやプロレス関係者にもエキジビション程度の捉え方しかされなかった。今ではそんな試合があったことすら完全に忘れ去られてしまっている。が、あの試合は断じて過去をテーマにした闘いではなかった。異種格闘技戦で格闘技の怖さを知り尽くしていた猪木と総合格闘技のパイオニアである佐山。彼らの眼には、おそらく、すでに今日のプロレスの危機的状況が映っていた。「グラウンド・コブラ」は、格闘技に対抗するため、プロレス技の再確認を急げという後輩達へのメッセージに他ならなかった
 それが真実である証拠に、猪木は現役最後のリングでも同じメッセージを再び発した。
 引退試合の相手は「アルティメット王」ドン・フライ。総合格闘技の王者に対しても、猪木は「卍固め」ではなく「コブラツイスト」からの「グラウンド・コブラ」をフィニッシュに選んだ。
 あれこそはアントニオ猪木のプロレスラーとしての意地。
 プロレスも格闘技なのだという信念の現れだった。
(つづく。文中敬称略)
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by leicacontax | 2006-04-05 00:57 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(3)
2006年 04月 04日
格闘家 猪木の実像〜その4
〈格闘家 猪木の実像〜その4 猪木を強くした男達〉

 猪木が若かりし頃、プロレス界には、素晴らしい技術を持った「師匠」も数多く存在していた。     「俺の引き出しの中には、まだ凄いモノが眠っている」という猪木の言葉は、この時代に世界の一流選手たちから受け継いだ技術を根拠にしている。
 20世紀の半ばまで、プロレスにはさまざまなシュート・テクニック(今でいう格闘技)が残っていた(それについては一昨年出版されたビル・ロビンソン自伝「高円寺のレスリング・マスター 人間風車」に詳しい)。すでにアメリカ・マット界はショー化が進んでいたというが、猪木がプロレス入りした時代には、そんな風潮等どこ吹く風の猛者達がまだ数多く存在した。
 とくに人種と文化の坩堝であるアメリカには、世界中のさまざまなスタイルのレスリングが集結。中でもヨーロッパに伝わっていた「キャッチ・アズ・キャッチ・キャン」というランカシャー・スタイルのレスリングは、スポーツ化したレスリングとはまったく異質の、まさしく敵にとどめを刺す「サブミッション」という技術を持つ格闘技だった。
 後にUWFが「サブミッション」という言葉をポピュラーにしたが、キャッチ・アズ・キャッチ・キャンでいうところのサブミッションには、関節技という意味だけでは括れない裏技も含まれる。猪木は、強さを渇望していた若手時代、来日した一流外国人選手達から、ほぼマンツーマンでそれらを学んだ。猪木が言う「俺の引き出し」とは、その、かつてプロレスに存在した格闘技術を指す。

 力道山も対戦を避けたカール・ゴッチに猪木が弟子入りしたのはあまりにも有名。実は猪木は他にも、パット・オコーナー、ディック・ハットン、サニー・マイヤース、そして20世紀最強の「鉄人」ルー・テーズと、プロレス史に名を残す当時の世界最高レベルの強豪選手が来日する度、彼らからも貪欲にテクニックを吸収した。寝技の達人であるパット・オコーナーからはマンツーマンで特訓を受けた(オコーナーは寝技を人に教えるのが趣味だったという。しかし、猪木以外の選手はその厳しい指導を厭がって敬遠。結果として、猪木が最高のコーチを独占する栄誉に浴した)。強くならないはずがなかった。
 日本プロレスの道場にも、猪木を強くしたレスラーがいた。
 大坪清隆。柔道出身のテクニシャンで、引退後はコーチも務めた寝技の名手だった。猪木はこの大坪選手とのスパーリングを通じて、自らの身体感覚に磨きをかけた。
 当時を猪木はこう振り返る。
「道場で誰も外せなかった大坪さんの寝技があった。それを体の柔らかさを利用して俺が初めて外した。その時の大坪さんの悔しがり方ってなかったな」
 己の身体特徴を知り尽くした上で確かな格闘テクニックを身に付けた猪木は、プロレスラーとして開眼する前に一人の格闘家になっていた。
(つづく。文中敬称略)

 
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by leicacontax | 2006-04-04 01:47 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)