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【アリ戦の負債が異種格闘技路線を継続させた】


──そもそも『格闘技世界一決定戦』とはモハメド・アリ戦を意味する呼称のはずでした。しかし、この一戦によって新日本プロレスは莫大な負債を抱え、やむを得ず異種格闘技戦がシリーズ化されてしまったわけですが、猪木さんとしてはどんな思いでリングに立ち続けていたのでしょうか?


猪木 〝宵越しの金は持たない〟というようなイベントをやってしまった結果として残ったのが世間の酷評と莫大な借金でしたから。それを返すためには普通のことをやっても返せないし、リングで作った借金はリングで返すしか方法がなかったんですよ。


──一連の『格闘技世界一決定戦』はテレビ朝日の『水曜スペシャル』という特別番組枠で放送されていました。放映権料はどれくらいの金額だったんですか?


猪木 そうですね、1回のスペシャル枠は当時で5000万から6000万円くらいだったと思います。


【マスコミの酷評が最大のダメージだった】


──アリ側とは互いに契約不履行をめぐって訴訟合戦になり、その過程で再戦の話が浮上してきたと聞いています。当然、猪木さんも再戦によって決着をつけたいと考えていたわけですよね?


猪木 いや、本当のことを言うと、あまりにもダメージが大きすぎてすぐに再戦したいという気持ちにはなれなかった。ほとんどすべての新聞に「世紀の凡戦」「茶番劇」と叩かれたことは俺にすれば思わぬ結果だったんですよ。俺自身は精一杯やったという満足感があったんだけど、それが全然認められなかったんですから。試合が終わってすぐ、蹴りまくった足が痛むので医者に行ってレントゲンを撮ったら「剥離骨折してます」と言われて、治療を済ませて家へ帰って翌朝の新聞を見たらそれでしたからね……。絶望的な気持ちだったんですけど、外に出たときたまたま通りがかったタクシーの運転手さんから「いやあ昨日はご苦労さん!」って声をかけられて、その一言に救われたんですよ。

だから、俺としては正直、もういいという気持ちでした。でも、新間(寿)をはじめ周囲の人間は、俺が味わったそういう恨みや屈辱をなんとか晴らそうと、あの手この手でアリを追い込んで行ったんです。そうこうするうちに格闘技戦も軌道に乗ってきたし、俺のほうもだんだん元気が出てきて、アリとの訴訟に関する流れのなかで再戦の可能性も出てきて、それもいいかという気持ちになってきたんです。


【闘った者同士の心の中では決着がついていた】


──アリ側は再戦についてはどういう反応だったんですか?


猪木 アリはいまでも会う度に「あんな怖い試合はなかった」って言うのが口癖なんだけど、おそらく本人はもうやりたくなかったんでしょうね。ただ、当時のアリの背後にはブラック・モスレムという宗教団体の教祖のハーバード・モハメッドがついていて権限を持ってましたから、周囲の思惑としては「またカネになるかもしれない」と乗り気だったんじゃないでしょうか。それで交渉もしばらく継続したんだと思います。


──ということは、当事者同士の意思とは無関係に再戦の話は進んでいたと?


猪木 俺も再戦の話は口にしていたから無関係とは言わないけど、あの一戦が俺にとってもアリにとっても、たとえ誰が評価してくれなくても精一杯の闘いだったことはたしかだった。だから再戦するまでもなく、二人の心の中ですでに決着はついていたんです。


〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉





# by leicacontax | 2022-10-27 08:56 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)

【先代マクマホン・シニアの商才と実行力】


──1978年(昭和534月、アメリカのフィラデルフィアで『格闘技オリンピック』と銘打たれたイベントが開催され、それにアントニオ猪木、坂口征二、ストロング小林の〝新日本プロレス三強〟も参加していました。まずはこのイベントの詳細について伺いたいと思います。主催はWWWF(現WWE)のビンス・マクマホンでしたが、この格闘技イベントは当時の猪木さんがぶち上げていた〝世界格闘技連盟〟のプランと連動したものだったんでしょうか?


猪木 いや、あまり彼らにそういう発想はなくて、アリ戦のときもそうだったけど、俺がやった異種格闘技戦にいかにうまく便乗して儲けようかという発想しかなかったんですよ。ただ、あの頃のアメリカのプロレス興行は、すでに決していい状態ではなかったから、現状に対して何か一石を投じたいという思いはあったようです。


──アリ戦の際、マクマホンはアメリカにおける猪木さん側の代理人として活躍したとも聞いています。この時期、猪木さんとは相当結びつきが強かったのでは?


猪木 アリ戦の諸々の件に関しても、彼らのほうから「何かやらせろ」と乗り込んできた。ニューヨークで開催する便乗イベント(アンドレ・ザ・ジャイアントvs.チャック・ウエップナー)で儲けるのが狙いだった。いつも俺たちはアメリカのプロモーターにはいいように利用されていて、それはいまでも変わらないんですよ。まあ、マクマホンは興行師としては感覚も鋭くて、俺の異種格闘技戦には最初から大きな関心を抱いていたみたいでした。いつかそれを自分でもプロモートしようと機会を窺っていたんだね。そういう意味では先代マクマホンは実行力もあって、いまのジュニアと違って紳士だった。


【猪木の異種格闘技戦がアメリカで定期的に行われていたら格闘技ブームは早まっていたかもしれない】


──いまから見ればこのイベントはアメリカ・マット界における画期的な格闘技イベントだったように思われます。現地のファンはどんな反応だったんですか?


猪木 当日の観客の反応は、たしか事前の情報があまり行き渡ってなくて鈍かったように記憶してる。だけどその後、シルベスタ・スタローンが猪木・アリ戦をモデルにして映画『ロッキー3』の劇中でホーガンと異種格闘技戦をやるシーンが出てきたり、後になって目に見える影響が現れてきたんじゃないかな。そうそう、この間のイベント(19966月に開催された『ロサンゼルス・レスリング・ピースフェスティバル』)のとき、アメリカのマニアファンがフィラデルフィアのイベントのときの写真を持っていてサインを求めてきたのにはちょっとびっくりした。まだ憶えてる人がいるんだよ。


──猪木さんが仮にあのままアメリカに定着、もしくは定期的に向こうで異種格闘技戦を行なっていたらどうなっていたでしょう?


猪木 いまのアルティメットみたいなブームがもっと早く起きて、意外にちゃんとした形で根付いたかもしれないな。


【打撃系格闘技対策は完成の域に達していた】


──この『格闘技オリンピック』で猪木さんはザ・ランバージャック・ジョニー・リー選手(193cm100kg/全米プロ空手ヘビー級王者)と闘っていますが、どんな印象が残っていますか?


猪木 体が大きくて結構迫力がありましたね。一発のパンチも重くて。だけど技が単調ですぐに動きが読めてしまった。


──この頃になると、猪木さんの異種格闘技戦の闘い方、とくに打撃系格闘技への対策は完成の域に達していたように見えます。


猪木 はい。相手が普通のグローブを着けている場合なら、とくに顔面以外は食ってもいいと思ってましたし、顔面のガードの構えさえできていれば、その上からいくら打たれてもやられる心配はなかったね。とくに俺たちレスラーはボクサーやキックの選手と違って重心が低いから。しっかり構えて打たれることを覚悟して懐のなかに入っていけば、多少いいのをもらっても一発では倒れないですから。


──モンスターマン選手と比較するとどうでしたか?


猪木 ランバージャックという選手は、マーシャルアーツの選手同士の闘いでは強かったと思います。ただ、モンスターマンのようにナチュラルな柔軟性から繰り出される予測不能の動きやリズムはなかったし、振りが大きかったから俺としてはやりやすかった。蹴りもよく見えてたし。だいたいパンチならモハメド・アリ、キックならモンスターマン以上の選手はいなかったんだから、闘っていても気楽な部分はあった。


──そのモンスターマン選手が、猪木さんの試合の前に坂口征二選手と対戦してKO勝ちを収めていましたが、その試合はご覧になっていましたか?


猪木 あまりそのへんの記憶は定かじゃないんだけど、たしか見てたんじゃないかな。


──正直、モンスターマンの蹴りがどんなに速いといっても、坂口選手とはかなりウエイト差があったのであの結果には衝撃を受けました(註/坂口選手が身長で6cm、体重で20kg上回っていた)。


猪木 坂口の場合は基本が柔道でしょう、彼の強さは投げにあったから、どうしたって掴まないことには始まらない。自分から相手の間合いに入ってしまうところが辛かったですね。それにまだ打撃に対するディフェンスもできていなかった。


──どんなにウエイト差があっても、相手の距離でクリーンヒットされれば鍛えたレスラーでもひとたまもりもないということですね。


猪木 そうですね。それに何より、モンスターマンの自由自在な蹴りのバリエーションに翻弄されてしまって自分の持ち味を出しきれなかったということですね。


〈『アントニオ猪木の証明』木村光一著より抜粋〉





# by leicacontax | 2022-10-26 06:14 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(0)

現実は精巧に造られた夢である。〈長谷川りん二郎の言葉〉


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