肖像写真。初代タイガーマスク/佐山サトル 〈 プロレスラー/掣圏真陰流 興義館総監 〉
2008年 11月 14日
傷だらけの肖像・其の参 〜 毘沙門天を宿す覆面。
「内側から見るマスクは、ただの布切れでした」
25年前──人気絶頂のまま突如プロレス界を去った天才・佐山サトルが語った言葉だ。
その後、佐山は時代に先がけて総合格闘技〝修斗〟を創設するも離脱。紆余曲折を経て、近年、ついに自らが史上最高の武道と信じる〝掣圏真陰流〟の創造に至る。
そんな佐山が3年前、〝ストロングスタイル復興〟をテーマにリアルジャパンプロレスを旗揚げ。初代タイガーマスクの勇姿を蘇らせた。
試合後、こんな質問をした。
「今、マスクは内側からどう見えてますか?」
虎の仮面の下から現れた汗だくの佐山は即座に答えた。
「タイガーマスクがファンと自分の大切な架け橋であることは重々承知しています。が、やっぱり内側から見えるのは布切れ。これを被れば強くなれるわけじゃないんです」
汗まみれの覆面の裏側──その眉間には武神を意味する〝毘〟の刺繍が隠されていた。
(文中敬称略)
梶原一騎原作の「プロレススーパースター列伝」の中でタイガーブームの真っただ中、正体は佐山サトル・・・とほぼ明かしつつ「誰かが虎の覆面を被った、それだけの単純なものではないんだ」としきりに書いていたのを思い出しました。
皮肉なことに単純な布切れのようなマスクを被っていたころの方が〝毘〟を感じてしまうのですが。
最近、ブログではすっかりプロレス格闘技の話題から遠ざかってしまっていますが、仕事では徐々にそちら方面の活動を再開しております。選手と1対1で向きあって肖像写真を撮り、肉声に触れるという試みはまるでリング上で対峙するような緊張感。毎回、終わるとへとへとですが、それも充実した疲労です。やっぱり、私はプロレスラーや格闘家が好きなんですね(笑)。
昔、佐山さんがマスクを布切れと言ったのを活字で読んだときはその真意を理解できませんでした。が、今回、あらためて直接話してみて、ようやく納得出来ました。
佐山さんのその言葉は、マスク=プロレスを否定したわけではなく、マスク=ただのギミックとしか考えない安易なプロレスの否定。強さというベースが軽んじられ、ギミックだけが一人歩きすることへの違和感を語った言葉だったんですね。
「単純な布切れのようなマスクを被っていたころの方が〝毘〟を感じてしまう」というご意見ですが、それだけ当時の新日本プロレスのリングには緊張感と凄みがあったからでしょう。凄いプロレスは、強いレスラー同士のぶつかり合いからしか生まれませんからね・・・。
格闘技の話題から遠ざかっても木村さんのブログからは「闘い」をかんじますね(笑)。相変わらず毎日見させてもらってます。
佐山さんについては何故プロレスをやるのか真意が分からないところです。本人は年齢的に仕方がないにしても虎の覆面を被ったお弟子さんたちも余り高いレベルではないようです。IGFでは果たしてどうでしょうか。佐山さんの弟子たちとスネークピットジャパンの若手がぶつかれば何か新しいものが生まれるような気がしますが。
格闘技から一度思いきり離れて、自分なりに苦戦しながらも試行錯誤の日々を送った結果、少し楽になれたような気がしています。写真というフィルターを通してモノを見る訓練をしたことも関係しているのか、前よりも物事を整理して考えられるようになったというか・・・いい意味での遊びが自分の中に生まれたのかもしれません。
佐山さんがプロレスに戻って来た真意については、私も一度じっくり話を伺ってみたいと思っています。正直、私もはじめは佐山さんの行動に懐疑的な見方をしていました。しかし、リアルジャパンが旗揚げ以来、地道な選手育成を何年も続けている事実を目の当たりにして、それ以上明快な回答はないという結論に達しました。
リアルジャパンの若手選手の中には逸材が何人か存在します。ただ、残念ながら試合数が圧倒的に足りない。プロの試合に不可欠な間の取り方だけは、いくらスパーリングをしても身に付きません。coppenさんの言う通り、若手に経験を積ませる場という意味でも、現段階では同じストロングスタイル復興の志を持つ団体との切磋琢磨を目的とした交流戦が必要かと私も思います。
久しぶりに観たらレベルアップしてますねー
流石です!
僕も背筋が伸びるおもいです!!
ではまた近々に。
嬉しいコメントありがとうございます。
基本を知らないので、まだまだ偶然に助けられるばかり。
仕事となると冷や汗の連続です。
やっぱり、銀塩カメラで狙い通りに表現出来るプロのカメラマンは凄いですね。
関根さんのボクサー写真の凄さ、つくづく身に滲みております。
私の本業は、やっぱり物書きですね。