2007年 07月 30日
ストロングスタイルの父、カール・ゴッチ氏の死を悼む。
〝プロレスの神様〟カール・ゴッチ氏が28日(現地時間)に亡くなった。
82歳。死因は肺炎だという(後日、大動脈瘤破裂と訂正報道があったので追記)。
もし、若き日のアントニオ猪木がゴッチ氏に教えを請わなかったならば、その後のアントニオ猪木はなかった。私達の憧れたあの〝世界一強い〟アントニオ猪木の自信の源はいうまでもなくゴッチ直伝のシュートテクニックであり、その確固たる技術をアントニオ猪木がプロレスの中心に据えたからこそ、弟子である藤原喜明、佐山聡、前田日明も強くなり、それがやがてUWFやシューティング、現在の日本の総合格闘技へと形を変えた──すべては、カール・ゴッチとアントニオ猪木の出会いから始まった。それは間違いない。

最近、総合格闘技が一般化する過程で、ショー的要素を捨てきれなかったUWFや、結局、バーリトゥードの技術一辺倒に塗り替えられてしまったシューティングを指し、上記のような事実を無視してゴッチに端を発する日本の格闘技の歴史を書き換えようという考えも出て来ているようだが、それは絶対に誤りだ。
たしかに、ゴッチ流のシュートテクニックのほとんどは現状の総合ルールでは使えない。格闘技グローブの着用が手首より先を駆使するシュートテクニックのほとんどを封じていることはアントニオ猪木もはっきり証言している。が、だからといってその技術が時代遅れや役立たずだと誰が言い切れよう。いま認められる格闘技の強さの基準は、あくまで現状のルールあってのもの。〝ノールール〟〝なんでもあり〟という総合格闘技初期の謳い文句に皆が洗脳され、あたかもそれが究極の試合形式のように多くの格闘技ファンは鵜呑みにしているが、〝ノールール〟の闘いがあんなにスポーツライクであるはずがない。私は現状の総合格闘技を強さの判定基準として否定しないし、選手達は強いと思っている。それでも、だからといって、ゴッチから伝わるプロレス流シュートテクニックを全面否定するのには納得出来ない。

ただ、問題は、プロレス流シュートテクニックはダイレクトに人間の急所に攻撃を加える完全なる裏技であり、それは観客に披露できない〝禁じ手〟だったという点。ゴッチと同時代に活躍した米国マットで史上最強といわれるダニー・ホッジは「人間の鼻をもぎとるのは簡単なことだ」とこともなげに語ったといわれるが、その言葉通り、ゴッチ流のシュートテクニックも本当に使えば相手を再起不能にする。つまり、シュートとはよくいったもので、それは目に見えない拳銃か刃(やいば)のようなもの。人前で使う事はあくまで御法度だったのだ(シュートテクニックの原点であるヨーロッパに伝わる〝キャッチ・アズ・キャッチ・キャン〟という格闘技は騎士達による徒手格闘技といわれている。そもそも技術の前提が競技のレベルではないのである)。

本来、娯楽であるプロレスにおいてシュートテクニックは絶対にリングで使われてはならない禁じ手。しかし、決して無用の長物ではなかった。実際、それを隠し持つレスラーの凄みは黙っていても観客に伝わっていた。
ストロングスタイルのプロレスとは、単純に定義すれば、シュートレスラーが行う一触即発の緊張と戦慄を孕んだプロレスのこと。シュートに自信のあるレスラーは自分の思うままに相手をコントロールして自分の面白いと思う試合をつくり、また、両者共シュートレスラーだった場合、互いに懐に刃を隠しながら主導権を争い、時には観客に気付かれない殺伐としたやりとりが行われたこともあった(「アントニオ猪木vsビル・ロビンソン」はその最たる一戦)。目に見える闘いがすべてである格闘技とは、だからそこが大きく違っていたのである。

アントニオ猪木のおかげで、私はプロレスの面白さ、格闘技の迫力を知り、いまに至っている。ストロングスタイル・プロレスの見方は、意外にも他の格闘技の目に見えない心理戦を読み取ることにも大いに役立ち、ひいては、それは私の物の見方、感じ方の大きなバックボーンにさえなっている。そう考えると、実は私も、カール・ゴッチには少なからぬ影響を受けていたことになる。

〝プロレスの神様〟の死は、私にとっても遠い出来事ではなかった。

御冥福をお祈り致します。
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by leicacontax | 2007-07-30 14:06 | プロレス/格闘技/ボクシング


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