ストロングスタイルの父、カール・ゴッチ氏の死を悼む。
2007年 07月 30日
82歳。死因は肺炎だという(後日、大動脈瘤破裂と訂正報道があったので追記)。
もし、若き日のアントニオ猪木がゴッチ氏に教えを請わなかったならば、その後のアントニオ猪木はなかった。私達の憧れたあの〝世界一強い〟アントニオ猪木の自信の源はいうまでもなくゴッチ直伝のシュートテクニックであり、その確固たる技術をアントニオ猪木がプロレスの中心に据えたからこそ、弟子である藤原喜明、佐山聡、前田日明も強くなり、それがやがてUWFやシューティング、現在の日本の総合格闘技へと形を変えた──すべては、カール・ゴッチとアントニオ猪木の出会いから始まった。それは間違いない。
最近、総合格闘技が一般化する過程で、ショー的要素を捨てきれなかったUWFや、結局、バーリトゥードの技術一辺倒に塗り替えられてしまったシューティングを指し、上記のような事実を無視してゴッチに端を発する日本の格闘技の歴史を書き換えようという考えも出て来ているようだが、それは絶対に誤りだ。
たしかに、ゴッチ流のシュートテクニックのほとんどは現状の総合ルールでは使えない。格闘技グローブの着用が手首より先を駆使するシュートテクニックのほとんどを封じていることはアントニオ猪木もはっきり証言している。が、だからといってその技術が時代遅れや役立たずだと誰が言い切れよう。いま認められる格闘技の強さの基準は、あくまで現状のルールあってのもの。〝ノールール〟〝なんでもあり〟という総合格闘技初期の謳い文句に皆が洗脳され、あたかもそれが究極の試合形式のように多くの格闘技ファンは鵜呑みにしているが、〝ノールール〟の闘いがあんなにスポーツライクであるはずがない。私は現状の総合格闘技を強さの判定基準として否定しないし、選手達は強いと思っている。それでも、だからといって、ゴッチから伝わるプロレス流シュートテクニックを全面否定するのには納得出来ない。
ただ、問題は、プロレス流シュートテクニックはダイレクトに人間の急所に攻撃を加える完全なる裏技であり、それは観客に披露できない〝禁じ手〟だったという点。ゴッチと同時代に活躍した米国マットで史上最強といわれるダニー・ホッジは「人間の鼻をもぎとるのは簡単なことだ」とこともなげに語ったといわれるが、その言葉通り、ゴッチ流のシュートテクニックも本当に使えば相手を再起不能にする。つまり、シュートとはよくいったもので、それは目に見えない拳銃か刃(やいば)のようなもの。人前で使う事はあくまで御法度だったのだ(シュートテクニックの原点であるヨーロッパに伝わる〝キャッチ・アズ・キャッチ・キャン〟という格闘技は騎士達による徒手格闘技といわれている。そもそも技術の前提が競技のレベルではないのである)。
本来、娯楽であるプロレスにおいてシュートテクニックは絶対にリングで使われてはならない禁じ手。しかし、決して無用の長物ではなかった。実際、それを隠し持つレスラーの凄みは黙っていても観客に伝わっていた。
ストロングスタイルのプロレスとは、単純に定義すれば、シュートレスラーが行う一触即発の緊張と戦慄を孕んだプロレスのこと。シュートに自信のあるレスラーは自分の思うままに相手をコントロールして自分の面白いと思う試合をつくり、また、両者共シュートレスラーだった場合、互いに懐に刃を隠しながら主導権を争い、時には観客に気付かれない殺伐としたやりとりが行われたこともあった(「アントニオ猪木vsビル・ロビンソン」はその最たる一戦)。目に見える闘いがすべてである格闘技とは、だからそこが大きく違っていたのである。
アントニオ猪木のおかげで、私はプロレスの面白さ、格闘技の迫力を知り、いまに至っている。ストロングスタイル・プロレスの見方は、意外にも他の格闘技の目に見えない心理戦を読み取ることにも大いに役立ち、ひいては、それは私の物の見方、感じ方の大きなバックボーンにさえなっている。そう考えると、実は私も、カール・ゴッチには少なからぬ影響を受けていたことになる。
〝プロレスの神様〟の死は、私にとっても遠い出来事ではなかった。
御冥福をお祈り致します。
プロレスの神様カール・ゴッチ、最後の最後まで猪木さんとの和解はなかったんですね。
でも木戸修を別格としても藤原、佐山、前田、藤波、船木、鈴木実、最近では西村など色々な形で神様と関わったのでしょうが一番深く付き合ったのはやはり猪木さんではないかと勝手に思ってます。だからこその愛憎劇。
最近YouTubeで新日旗揚げの猪木vsゴッチ戦を見ました。
こんな鮮明な画像があったのは驚きでした。
同感です。ただ、猪木さんとゴッチは歳は離れていても、現役時代が微妙に重なるライバルでもあったため、弟子達のように全面的にゴッチによりかかることができなかったのではないでしょうか。
いずれにしても、レスラーとして不遇だったカール・ゴッチにトレーナーとして光を当てたのは間違いなくアントニオ猪木です。猪木さんがゴッチの強さに傾倒して指導を仰がなかったら、後の格闘技の流れを生み出した佐山、前田の運命もまったく違ったものになっていたに違いありません。ゴッチと猪木さんの関係はとうとう険悪なまま終わってしまいましたが、老いたゴッチに多くの〝プロレスの息子達〟を授けた張本人もアントニオ猪木。そういった意味でもゴッチと運命的にもっとも深い結びつきがあったのはやっぱりアントニオ猪木だったと思います。
新日旗揚げ戦の猪木vsゴッチは以前「アントニオ猪木全集」としてDVD化されています。そのDVD(第2巻)には猪木、坂口組vsテーズ、ゴッチ組の試合や猪木vsテーズ、猪木vsロビンソン等も収録されていて最高に見応えある1枚になっています(たしか全集はバラ売りもされていたと思います)。
猪木とゴッチは認め合っていると思いますよ。前田の猪木に対する関係に少し似ているかもしれないですね。前田は猪木の悪口を言っていうようで、猪木に相手にしてほしくてたまらないのだ、というのが伝わってきます。
猪木・前田の愛憎関係と、たしかにゴッチとのそれとはよく似ているかもしれません。とくに若き日の前田日明は猪木とゴッチを同一視しして憧れを抱いていたようですから、アントニオ猪木がカール・ゴッチから距離を置き始めたことは耐えられなかったのではないでしょうか。
元々愛情のベースがあるからこそ、あそこまで頑にもなれる。アントニオ猪木を取り巻く愛憎劇はどこまでも深くて複雑です。
MMAの世界観では基本とされる片足タックルにしてもロープブレイクの有無によって大きく有効性は変わるはずです。
片足タックルは移動範囲の大きい分、捕獲してもロープに届いてしまう可能性が高いですから、ロープブレイクのあるルールの場合、サイドからのタックルや猪木が良く使っていた腕取り小内刈りのほうが有効な可能性もあります。
ポジショニングにしても、肘の有無、顔面パンチの有無、チョークの有無によって大きく変わるはず。
そこを無視してゴッチ流を否定するのは笑止千万だと思います。
空手ひとつをとっても顔面攻撃の有無で間合いも戦術も大違いですし、元々ルーツを同じくする柔道と柔術だって禁じ手の違いによってまったく異質な格闘技になってしまったわけですから、格闘技全般がMMA(総合格闘技)と同化していく流れは、最悪、それぞれの格闘技の空洞化に繋がってしまうような気がして心配です。