〝いい人〟あるいは〝ベビーフェイス〟症候群。
2006年 04月 25日
pasinさんのブログ〝NWF〟(リンク参照)に書かれている意見にはまったく同感。この期に及んで・・・呆れるしかない。進退懸けての意見書提出、といういつもの〝いい人ポーズ〟。いい加減、うんざりだ。
藤波は長州の二度の出戻りを批判しているが、あれだけのアントニオ猪木批判をしておきながら、背に腹は代えられぬとばかり、恥を承知で復帰し、自分の息のかかったインディーの選手達の登用はWJプロレス時代のエクスキューズと揶揄されながらも、批判を受け止め(開き直り?)、リングの対立構造の軸の役割を自ら買って出ている長州は、レスラーとして、経営者として、綺麗事ばかりで絶対手を汚さなかった藤波より、人として遥かに責任を全うしている。そう思う。
1985年9月19日、東京体育館で行われたアントニオ猪木vs.藤波辰巳。昭和プロレス屈指の涙の名勝負として語り草の試合。あの闘いによって、UWF、ジャパンプロレス勢離脱で絶体絶命の危機に追い込まれた新日本プロレスはファンの心を繋ぎ止め、藤波は一躍〝救世主〟と称えられた。私も最前列で観戦して涙を流した。リングを取り囲んでいた、当時、まだ坊主頭だった武藤、橋本、蝶野も、皆、泣いていた。
が、憶えている方はいるだろうか?
一緒に観戦した仲間達と居酒屋で余韻に浸りながら酒を飲んでいると、カウンターのテレビに、夫婦揃って満面の笑みを浮かべた藤波が映った。午後10時。まさか録画だろうと思いきや、その番組は生放送。歴史的名勝負に立ち会ったというファンとしての誇りは木っ端微塵。自宅だったなら、私は間違いなくブラウン管にモノを投げつけていた。酔いは一気に醒め、飲み会は白々しい笑いに支配された。大好きだった〝ドラゴン藤波〟を信じられなくなったのは、それからだ。
結局、藤波という人はプロレスラーとして夢を紡いできたのではなく、ただ、自分だけが〝いい人〟であり続けたかっただけ。同じ利己主義でも、俺がプロレスだとプロレスというジャンルそのものを背負って主張を通したアントニオ猪木とは、あまりにも違い過ぎる。
そもそも今の世の中がこんなにも上っ面だけで心がなくなったのは、皆が〝いい人〟の仮面を被るようになったからだ。その矛盾が歪みを生んでいる。誰かがそれを承知で〝ヒール〟を引き受けなければ歪みは増すばかり。鬱積は、いざ、爆発した時には手がつけられない。アントニオ猪木や長州力が犠牲的精神から矢面に立ってきたとは思わない。往々にして、それは自分の利害や都合によるものだったに違いない。にしても、それらはある意味、正直な分だけ真っ直ぐでわかりやすいといえる。少なくとも、それが厭なら周囲は拒絶できる。納得できなければ離れればいい。社会において人の上に立つ者が意思表示をはっきりさせることは、従う者達への最低限の責任でもある。
新日本を辞めるにしても残留するにしても、〝進退懸けて〟意見を述べたことで一応、藤波辰爾は体面を保ったと考えているのだろう。しかし、そのポージングさえタイミングを外している。もし、本当にやる気があるのなら、可愛い子飼いの選手達を辞めさせる前にやるべきだった。あるいは、彼らと行動を共にして速やかに新団体を旗揚げすべきだった。その決意が本物なら、少なくない選手とファンの同意を得ることも出来たろう。が、もう遅い。
〝いい人〟は他人の心が読めないようだ。
あの方は最近NHKの昼の顔になっているようですし、今回の件は生活の不安が解消されたことも大きいのかもしれません。
東京体育館の夜の件は知りませんでした。僕もあの試合は大好きなので何とも言いようがないですね。
リスクは背負わず、つねに安全圏にいていいことばかり言っているその生き方を見るにつけ、つい、腹が立ってぶちまけてやりたくなります。ですが、暴露と受け止められるのは本意ではないので堪えます。
あ〜もう、誰でもいい! 新日本プロレスさん、夢のある話題を提供してくださいよ・・・。
そういうところが、駄目なんですよねー。
本日の東スポによると藤波はユークス社長に自身のCEO、会長職就任を要求するそうです。
あきれてモノも言えませんわ(^^;;
それが行き着く所は正義を気取った保身ですか・・・。
pasinさんがブログで言っている通り、これ以上は晩節を穢してほしくないものです。
猪木・藤波戦は、ストロングスタイルの技を駆使した素晴らしい試合でした。しかし結局、藤波は猪木のコピーのままでしかないので、猪木自身をびっくりさせるものや危うさは何もなかったように思います。そこが藤波は猪木の後継者たる存在ではない理由のひとつではないでしょうか。
ジュニアヘビー時代は、確かにかっこよかったですねえ。
本人に自覚はないんでしょうが、考えてみればラッキーな人です。