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決闘高田の馬場(原題/血煙高田の馬場)

決闘高田の馬場(原題/血煙高田の馬場)_f0070556_0251612.gif昨日、CS日本映画専門チャンネルで録画してあった「決闘高田の馬場(原題/血煙高田の馬場)」(1937日活映画/マキノ正博・稲垣浩監督/阪東妻三郎主演)を観た。
この映画は、先日、パルコ歌舞伎として上演された「決闘!高田馬場」の事実上の原作。舞台の作・演出にあたった三谷幸喜は、少年時代に観たこの映画の記憶からインスピレーションを得たと明言しており、映画も舞台も、最大の見所は伯父の窮地に駆けつける主人公・中山安兵衛(のちの堀部安兵衛/忠臣蔵四十七士の一人)の〝韋駄天走り〟(いだてんばしり)のダイナミズムである。

舞台における安兵衛の走りは苦難と苦悩に満ちている。酒と喧嘩に明け暮れる無頼生活で身も心も荒み、剣の腕、体力、気力、すべてにおいて昔日の面影はなく、幾度も走るのを諦めようとする。その度、安兵衛を慕う町人達が身を捨てて彼を叱咤激励。多くの犠牲を踏み台に、ようやく、安兵衛は逃れられぬ己の〝道〟(天命)を受け入れる。走りは、イコールそこに至るまでの〝行〟として描かれていた。

ところが、映画にはそんな苦難は欠片も描かれていない。
ひたすらの活劇。走りとチャンバラ。〝疾走感〟ただそれだけを追求。呆れるくらいの潔さなのだ。
といって、人間の関係性を軽視した作りになっているわけでもない。上映時間51分。細かなドラマを描いている暇はない。だが、映画そのものが決して腰を落ち着けることなく走りながら、無駄のない構成と人物配置の妙だろう、主人公を取り巻くドラマが簡潔かつ的確に語られている。このスピード感と語りの巧さは、さながらよく出来た〝ラップ〟のような気持ちよさ。69年も前に作られた映画は画も音も劣化は否めない。アクション(チャンバラ)もリアリティより様式の美しさに重きが置かれている。それでも、それらが今の映画にはない味として楽しめてしまうほど、この作品はモダンで爽快だ。

ちなみに、同じ頃に製作された日本映画に「人情紙風船」(山中貞雄監督)という傑作があるが、こちらは徹底してハードボイルドで「高田の馬場」とは対極の作品。カメラやフィルム等のハードの性能は現在とは比較にならない。それでも、両方の作品を観れば当時の日本映画の技術レベルと志の高さがよくわかる(アメリカ映画でも、史上最高の作品と呼ばれる作品「市民ケーン」「風と共に去りぬ」「カサブランカ」はこの頃に作られている)。
映画は見た目には進化したかにみえる。が、満足ではない製作環境下(しかも当時は戦時下という非常時)、知力と体力を凝らして製作された作品の厚みの前、安易なドラマとテクノロジー頼みの昨今の映画は、いかにも骨抜き。化粧だけが上手で頭の悪い(それでいて打算的な)女のように思えてくる。




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by leicacontax | 2006-04-20 00:35 | 映画/TVドラマ | Comments(0)

現実は精巧に造られた夢である。〈長谷川りん二郎の言葉〉


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