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原子力戦争──原田芳雄氏の死を悼む。

 19日、俳優の原田芳雄氏が亡くなられた。とても好きな俳優だった。
 高校1年のとき、私の故郷に映画のロケ隊がやって来て、実家の近所で撮影が行われたことがあった。主演俳優が原田芳雄らしいとの噂を聞きつけた私はレイバン擬きのサングラスをかけ、自転車のペダルを漕いで現場に駆けつけた。というのも、中学高校と私は松田優作にかぶれていて、その兄貴分である原田芳雄にも強く惹かれていたからだ(サングラス、髪型、低い声のトーン、セリフの言い回し──等々、デビューからある時期までの松田優作は原田芳雄の忠実なコピーだといっても過言ではない。そして私も、恥ずかしながらそのコピーのコピーに励んでいた当時全国に大量発生した〝優作擬き〟の一人だった。つまり、そんな遠回しなつながりにより、私にとっても原田芳雄は尊敬する大兄貴だったのだ)。さらに、中学生の頃から友人たちと8ミリ映画に熱中していた私にとって、そのロケはプロの現場を見学出来る願ってもないチャンスでもあった。

 野次馬が二重三重に現場を取り囲んでいた。その頃、すでに身長が180センチ近くに達していた私は苦もなく撮影の様子を窺うことができた。サングラス越し、アンバーに染まった原田芳雄はテレビや映画で観るよりずいぶん背が低いように感じられた。が、がっしりした肩幅、分厚い胸板の迫力は逆に平面の映像のなかのそれしか知らなかった眼にはまったくの予想外で意表をつかれた。浅黒い肌が発散する気配も濃密でまるでそこだけ重力が違っていた。見慣れた街角(そこは歓楽街に近い銭湯の入り口)が背景だっただけに、かえってその姿は際立って異形のものとして網膜に焼き付いた。

 映画のタイトルは『原子力戦争』──1978年公開のATG作品である。原作は田原総一郎。監督は『龍馬暗殺』、『祭りの準備』(この映画は私が観たあらゆる青春映画のなかで五指に入る)の黒木和雄。最初、そのタイトルを耳にしたときはてっきり特撮かアクション映画だと早合点して別の期待に胸を躍らせたのだが、実際はその対極の映画──原子力発電所のある地方の港町に流れて来たヤクザがとある原発スキャンダル(原発事故の組織的隠蔽)に巻き込まれて破滅へ追い込まれるというストーリー──暗い、重苦しい、欠片も救いのない、いわゆる〝社会派〟映画だった。

 サスペンス劇の体裁をとりながらいっこうに盛り上がらない典型的観客不在映画。それでも、唯一、原田芳雄が原発入口で警備員と押し問答になる場面だけが本筋とはトーンの異なるドキュメンタリー調になっていてやけに生々しかった。実際、そのシーンは福島原発にアポ無しで突入して撮影されたらしく、いまにして思えば、作り手の目的は端からこの行為の記録──原発問題をタブーにする社会風潮への投石──にあったに違いなかったことに気付かされる。

 それでも、やはり、映画はみごとに全編満遍なく間延びして退屈極まりなく、原田芳雄が劇中で彷徨う景色と自分が8ミリ映画の背景に選んで撮影した場所の重なりを探すという別の楽しみがなかったら、私でもエンドタイトルまで付き合うのはおそらく無理だった。そんなわけで、この作品は私にとってきわめて個人的な記憶と結びついたカルトな1本という以上の意味を長い間もたず、故郷を離れて30年このかた、めったに憶い出されることもなかった。3月11日、あの忌まわしい原発事故が起きるまでは──。

 退屈極まりなかった映画はどうしようもない未来を暗示していた。
 そして、はからずも、預言者の役割を演じた原田芳雄氏がこの時期に世を去った。
 故郷のあの海も、すでに色褪せた8ミリフィルムのなかにしか存在しない。
 合掌。

(文中一部敬称略)




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by leicacontax | 2011-07-22 09:17 | 映画/TVドラマ | Comments(0)

現実は精巧に造られた夢である。〈長谷川りん二郎の言葉〉


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