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格闘家 猪木の実像〜その2

〈格闘家 猪木の実像〜その2  かつてプロレスは格闘技だった〉

 「奥義」(おうぎ)の意味を辞書で引くと、「学問、芸能、武芸などの深遠で肝要な事柄。極意。真髄」とある。
 歌舞伎は、日本舞踊、和楽器、長唄等、多岐にわたる伝統芸能の複合から成り立ち、歌舞伎役者は最低限それらの習得を義務づけられている。
 歌舞伎役者には日本舞踊の家元や名手、和楽器の一流奏者も少なくない。彼らは、歌舞伎以外のジャンルにおいてもハイレベルな芸能の保持者なのだ。
 
 さて、アントニオ猪木を支えたプロレスの奥義である。
 その前に、まずプロレスとは、元来、総合格闘技なのだということを言っておく。エンタテインメント的な要素はあくまで枝葉であり、根幹は格闘技だという前提を忘れてはならない。
 今のレスラーやファンの多くは、プロレスは初めからプロレスであって格闘技とは別のジャンルだと認識している節がある。それが、往々にして猪木の発言が現役レスラーやプロレスファンと摩擦を生む要因なのだが、そもそも19世紀に始まったガス灯プロレスはストリートファイトであり、20世紀初頭までシュートは当たり前だった。その匂いは力道山時代まで色濃く残っており、事実、猪木は力道山から「プロレスは喧嘩だ」という理念を叩き込まれた。
 つまり、日本のプロレスの始祖はプロレスをスポーツではなく喧嘩だと弟子に伝え、他の弟子はともかく、少なくとも猪木はそれを忠実に受け止めた。「闘魂」の起源はそこにあった。
 昨今、柔道界や角界から総合格闘技へ転身する選手が注目を集めている。が、そもそも日本のプロレスは、相撲と柔道の出身者を中心にして旗揚げされた。力道山は大相撲の関脇。エリオ・グレイシーに勝った伝説の柔道家・木村政彦や元横綱東富士といった錚々たるメンバーも続々とプロレス界に身を投じた。黎明期の日本のプロレスは、さながら現在の格闘技界と同じような様相を呈していた。そのことと、猪木のプロレスは無縁ではなかった。
 陸上競技や農園の重労働で基礎体力は出来ていたにしても、格闘技経験のない17歳の猪木の目に、大相撲や柔道で鳴らした先輩レスラー達が遥かに高い壁に見えたであろうことは容易に想像がつく。大人と子供どころではない。肉食獣と草食動物ほどの差がそこには存在していたに違いなかった。
 そんな状況の中で猪木がのし上がるためには、ただひとつ、強くなって誰からも一目置かれる存在になるしか方法はない。若き日、猪木はどうすれば強くなれるか、ただそれだけを考え、日々の練習に明け暮れた。
(つづく。文中敬称略)
Commented by pasin at 2006-04-02 02:45 x
木村さん、こんばんは。
最近、「流智美の黄金期プロレス50選」という50年代のアメプロDVDを見ました。
既にこの頃になるとリアルファイトでは無いのですが、
それでもしっかりとしたレスリングが繰り広げられており引き込まれました。
この頃は大技と言ってもパイルドライバー、バックブリーカーが一試合に
一回出るぐらいでヘッドロック、アームロック、ピンフォールの攻防が
メインなんですが、選手達の動きの早さには驚かされます。

このDVDに登場するテーズ、ガニア、ロジャース、ロッカ等々
並みいる伝説のレスラーの中でも特に素晴らしかったのがパットオコーナーでした。
以前、猪木さんはインタビューでオコーナーの影響を受けたと発言しています。
個人的には晩年の全日時代しか知らずピンと来なかったんですが、
全盛期のレスリングを目にして非常に頷けるものがありました。
腕のとり方、グラウンドでの体重移動等々猪木さんのレスリングに
近いものがあるので是非見てみてください。
Commented by leicacontax at 2006-04-02 17:15
pasinさん、こんにちは。
昔、テレビ東京で「世界のプロレス」(タイトルはうろ憶えです)みたいな番組があって、たまにテーズやガニアやロッカの試合を観た憶えがあります。
当時は技が少ないな〜と思いながら、それでも、マットに吸いつく様な立ち姿などにひとり頷いていました(マットに足が吸いついている感じというのは、私にとってレスラーの評価の重要なポイントです。猪木さんも全盛期はマットに足が吸いついています)。
「パット・オコーナーは寝技をコーチするのが趣味みたいな人で、他のレスラーが皆いやがって逃げちゃうので、いつも俺ひとりで相手をしてた」
若手時代の練習についてインタビューしたとき、猪木さんはそう言っていました。(つづく)
Commented by leicacontax at 2006-04-02 17:15
(つづき)
ディック・ハットンからはコブラツイスト、技のタイミング、無駄のない動き。サニー・マイヤースからは、どんな相手にも合わせるセンス。ルー・テーズからは、ヘソで投げるバックドロップ。それぞれ、偉大な先輩の特徴をひとつひとつ盗んでいった結果が自分のレスリングスタイルになったのだとも。
考えてみれば、アントニオ猪木というレスラーは、50年代黄金期のプロレス界のエッセンスを集大成したような存在なんですね。それにプラス、ゴッチからはキャッチ流のシュート技術も身に付けていたわけですから、プロレス最強という信念を持ったのは当然といえるでしょう。
DVD探してみます。情報ありがとうございます。
Commented by ねこギター at 2006-04-03 00:35 x
私も以前ビデオで出た流さん監修の「鉄人一代/ルー・テーズ物語」「ザ・レトロ・マニア」というのを持っています。P・オコーナーのロープ・ワーク、フライングメーヤー、ドロップキックの流れなんか日本プロレス時代の猪木さんにも見られますね。それだけだと全日本プロレスになるんだけど、それにゴッチ、テーズのシュートや凄みが加わって新日本ストロングスタイルになるんでしょうね。それからも猪木さんはどんどん進化・変化・発展させていく・・・。
「鉄人一代」のビデオは、晩年のテーズとデビュー頃のバズ・ソイヤーのテレビ・マッチもあって興味深いものでした。
Commented by leicacontax at 2006-04-03 02:24
肉体的パワーが衰えてからの猪木さんは、歌舞伎でいうところのケレンの世界へ入っていってしまいましたね。きびきびして無駄のない動きをケレン味のない、などと表現しますが、若き日のアントニオ猪木のファイトは実は淡々としてました。きっと猪木さんの全盛期を目の当たりにしていない闘魂三銃士以降の世代の選手達は、猪木らしさ=新日本らしさ=ケレンと誤解してしまったような気がします。それにプラス、藤波・長州のハイスパートレスリングの影響もあるわけで・・・50年代のストロングスタイルの源流は一気に遠ざかってしまった。そうじゃないでしょうか?
テーズvs.バズ・ソイヤー!? 見ってぇ〜!!(爆笑)
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by leicacontax | 2006-04-02 01:35 | プロレス/格闘技/ボクシング | Comments(5)

現実は精巧に造られた夢である。〈長谷川りん二郎の言葉〉


by leicacontax