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プロレスラーとして空前絶後のブームを巻き起こし、四半世紀前には総合格闘技を創始した格闘の天才。佐山サトルは現在、己のルーツである『プロレスへ復権』と『格闘技を超える武道の創造』という二大テーマに挑戦している。プロレスと格闘技と武道。似て非なる三者の間を自由に行き来する唯一の男。はたして、その真意と目的はどこにあるのだろうか。
──まず、ここ数年、プロレスラーとして本格的に活動を再開された真意から。
佐山「はい。実はあるとき、僕に向かって『プロレスより格闘技の方が凄いじゃん』と馬鹿にした人がいたんですね(苦笑)。僕は総合格闘技(修斗、掣圏道)の創始者ですが元々プロレスラー。したがって、これは聞き捨てならんと思ったわけですよ。ところが、そう言われて久しぶりにプロレスを見てみたら…これじゃあ馬鹿にされても仕方ないと納得するより他なかった」
──というと?
佐山「はっきり言って、リング上は格闘とかけ離れた面白おかしい動きを競う学芸会になっていて、プロレスの父・力道山や、僕の師であるアントニオ猪木がもっとも大切にしていた闘いの迫力が、もう、すっかり失われていたんです」
──プロレスにおける闘いの迫力? 具体的にはどういうことでしょうか。
佐山「プロレスラーは厳しい練習を積んで忍耐力を養い、格闘技術を磨き、いざとなればセメントといわれるガチンコ勝負をやれる強さがなければいけない。若い頃、僕は新日本プロレスの道場で徹底的にそう叩き込まれました。実際、あの頃の猪木さんはリングで派手な動きはせず、身に付けたセメント力が放つ迫力と凄みで観客を魅了してました。たとえば停止した状態での手首の取り方、グラウンドでの体重の使い方といった細かい技術に嘘がなかったからこそ動きが自然で攻防に説得力があった。それがストロングスタイルと呼ばれるプロレスで、観客にもちゃんと伝わってたんですよ」
──なるほど。しかし、初代タイガーマスクの代名詞は『異次元殺法』と呼ばれたアクロバチックな大技でしたが?
佐山「昔のビデオをよく観てもらえばわかります。僕の試合のほとんどはベーシックな技術の攻防で、空中技を出すにしても決して不自然な場面では飛んでいません。自分で言うのも何ですが、初代タイガーのプロレスはストロングスタイルと観客の夢が高い次元で融合していたからこそ爆発的ブームを呼んだ。その後、僕がUWFで始めたキックを前面に出した格闘スタイルにしても、つまりはそれをガチンコ寄りにアレンジしただけのこと。すべては、当時の新日本にあった基本技術の組み合わせだったんです」
──’05年、佐山さんは自らリアルジャパンプロレスを旗揚げされました。プロレス氷河期といわれて久しい時代、あえて新団体をスタートさせた真意とは。
佐山「プロレスが馬鹿にされるようになったのは、繰り返しますが、格闘の技術を失って理屈に合わない動きばかりになってしまったからです。その辺を猪木さんもIGFという新団体で訴えようとしているのですが、ちょっと空回り気味。現役時代の猪木さんならやれたスリリングな異種格闘技戦のようなスタイルも、今のレスラーがやれば全然別物になってしまう。そもそも格闘技寄りのプロレスはすでにUWFがやり尽くしてますし、そんな回りくどいことをやるくらいなら、もう、はなから格闘技をやればいいんです。僕はそれらすべてを経験した身なのであえて言いたいのですが、見せ方として、格闘技とプロレスはきちんと線引きするべき。そのうえで堂々とプロレス本来の迫力を見せていけばいいんですよ。ただ、そういう方向へ軌道修正するにしても、僕らの下の世代に、それができるレスラーが数えるくらいしかいなくなってしまっている厳しい現実が一番の問題で…だったら自分が育てるしかない! と、それがリアルジャパン旗揚げに踏み切った最大の理由です」
──新しい才能は順調に育っていますか?
佐山「うちの2代目スーパータイガーやタイガーシャークは急激に伸びてます。僕の目から見ても基本は出来てるし巧いと思います。ただ、目の肥えたお客さんに認めてもらえるようになるまでにはキャリアが必要。最近はプロモーターが少なくなってしまって地方興行を増やせないのも悩みの種で、今後は選手の他団体への参戦も考えなければいけない。そのあたりの課題さえ克服すれば、必ずや彼らは大化けします! 期待して下さい(笑)」
【評判だったレジェンド対決】
佐山は一昨年から過去にほとんど接点のなかった天龍源一郎、藤波辰爾、三沢光晴、長州力らプロレス界のスーパースター達との対戦を矢継ぎ早に実現。一連の試合はレジェンド(伝説)対決として話題を呼んだ。
──なぜ今、レジェンド対決だったのでしょうか?
佐山「プロレスの迫力は格闘技とはまた違うところにあることをファンに伝えたかったのと、それを今のプロレスラーに観て貰いたいという思いがありました。皆さん、やはり凄いプロレスラーでしたよ。意外に思われるかもしれませんが、たとえば僕と藤波さんが試合をしたのは昨年11月が初めてだったように、案外、実現していないカードも少なくなかったんです。結果として最初で最後になってしまった三沢選手との対戦もそう。彼のリングに立っただけで観客を惹き寄せる独特の雰囲気や、エルボー一本で試合を組み立ててしまうセンスは見事だっただけに…本当に悔やまれますね…」
──ところで、天才・佐山サトルも現在51歳。40代後半での完全復帰はかなり大変だったのでは?
佐山「プロレスラーとしてはブランクがあっても、その間、弟子達に格闘技を指導しながらつねに練習はしてましたので、正直、とくに問題はないと思ってました。ところが、いざリングに上がってみたら、格闘技ならそんなことはないのに、なぜかプロレスの試合になると決まって5分過ぎから急激に足腰のスタミナがなくなってしまうのには参りました。それが、ふと、試しに新日本時代にやっていた脚の運動(スクワット)やカール・ゴッチ流の練習方法を復活させてみたら、ずっと苦しんでいた肉離れの痛みが嘘のように消えて足腰にスタミナがついて、おまけに柔軟性も戻って! やっぱりゴッチさんは正しかったんですよ(笑)。スタミナの不安さえなくなれば最初からバンバン行けますから、お客さんの反応も目に見えて変わりましたが…自己評価は65点。理想をいえば、やっぱり試合には体重を100k以下にして臨みたいですね」
【いつの日にか「天覧試合」を】
'99年、佐山は市街地型実戦格闘技『掣圏道』を創設。路上や日常空間での格闘を想定したコンセプトは衝撃的だった。その後、掣圏道は武道として真の強さを追求すべく『掣圏真陰流』へ発展。現在、文京区本郷に本部道場『興義館』を構える。
──なぜ格闘技ではなく武道なのでしょう?
佐山「武道というのは根幹に武士道があり、武士道とは戦闘者の心です。かつてサムライが支配した日本は、現代に置き換えれば軍事政権下の国。しかしながらその国は、力を持つ者が決して無頼の輩にはならず、世界でも稀有な平和を実現していました。そんなことがなぜできたのか? それはサムライが軍事力だけでなく『義』を重んじる精神性を持っていたからです。彼らは武力と礼儀作法と教養を同等に身に付け、切腹という死の掟をもって自らを厳しく律した。それが社会全体のモラルの規範となり、やがて庶民にも浸透していったからこそ、日本では独特の慎み深さや実直さといった美徳が育まれた。武士道は侍だけでなく日本人のすべての精神基底だった。僕はそれこそが真の強さにいちばん必要なものだと気付いたんです」
──精神基底と強さの関係とは?
佐山「武士道精神を説いた『葉隠』に『武士道と云ふは死ぬ事と見つけたり』という一節があります。この言葉はどうも死を美化するもののように誤った解釈をされてしまっているのですが、本当は死ぬ気でやれば絶対助かる、生きられるという意味。武士道とは死の掟以上に生の掟でもあったんです。科学的にも、人間は死をはっきり意識することで生存本能を覚醒させ、生き抜くためのトランス状態に入れる能力を持っていると考えられています。トランス状態というのは、感覚が極限まで研ぎ澄まされた状態。つまり、そこに自分を導く方法を身につければ恐怖心は超越できるんです」
──それは訓練すれば可能なんですか?
佐山「可能です。掣圏真陰流では人間の感情の動きを『情動波形』と呼んで次のように定義しています。日常の安定した精神状態は『常波』。プレッシャーを感じているときは『退波』。この退波へ入ってしまうと負けが始まる。いわゆるプレッシャーに負けない『不動心』の持ち主というのは、窮地に追い込まれても常波を持ち続けられる人間をいいます。常波を保つだけでも人は十分強くなれますが、さらに安定と集中を増した『乗波』、『超乗波』、そして究極は『戦闘トランス』というのですが、ここに至れば何だって思い通り。無意識を変化させて強くなる。それが掣圏真陰流の極意です」
──最後に、佐山さんの次なる目標、夢を聞かせてください。
佐山「僕は修斗を創始する前から、理想の格闘技は競技であると同時に社会規範を示すものでなければいけないと考えています。したがって、選手が金髪、入墨、マイクアピールで受けを狙うなどもってのほか! 観て面白いものにはならないかもしれませんが、実は本当に確立したい格闘技とはそういう社会の模範となるような厳粛で厳正な競技なんです。すでにイメージは自分の中でかなり出来上がっています。その競技でいつの日にか天覧試合を! それが僕の夢ですね」