モハメド・アリが亡くなった。
 これまで、アントニオ猪木の強い影響を受けて生きてきた者として、この出来事に関しては何かを書き記しておかなければならないと思い、久々にブログを更新することにした。なぜなら、アリとの異種格闘技戦なくしてその後の猪木の存在はなく、極論すれば現在の格闘技界の姿も、あるいは今の自分の人生もなかったからである。
 今さらながら思う。そもそもアリはなぜ猪木と闘ったのだろう?
 当時、プロボクシングの世界ヘビー級チャンピオンの権威は絶大。とくに反人種差別主義の象徴でもあったアリはアスリートを超越したアメリカの英雄だった。その彼が東洋の島国のプロレスラー──アリの立場からすれば日本のプロレスラーなど眼中にはない──と試合を行うことに、もとよりメリットは全くなかったはずだった。
 もともと、猪木との対戦プランはアリの「100万ドルの賞金を用意する。誰か東洋人で俺にチャレンジしてくる勇気のある奴はいないか?」というお得意の〝ビッグマウス〟に端を発していた。もちろん、アリ一流のジョークだ。当然、マスコミもその発言を本気にしておらず、あくまでネタの一つとして軽く取り上げられたに過ぎなかった。だが、真に受けて挑戦状を送った人間が世界に一人だけいた。それがアントニオ猪木だった。
 しかし、〝総合格闘技〟という概念が欠片もない時代、異なる格闘技の王者同士の対戦は空想でしか許されなかった。あらゆるスポーツがそうであるように、試合形式やルールという〝枠組み〟があって初めて〝対戦〟は可能になる。紆余曲折を経て猪木・アリ戦が実現したこと自体が奇跡とされたのはそのため。最終的に猪木が圧倒的不利なルールを飲んで試合に臨まなければならなかったのも、両者の力関係を考えれば無理からぬこと。ボクサーとレスラーがフェアな形で対戦できる枠組みが存在しない以上、無理やりにでも試合を成立させるためには、当時でいえば猪木の側がプロボクシングの権威とモハメド・アリの絶対的ネームバリューを前に百歩譲る以外に方策はなかったのである。
 
 冒頭の疑問に戻る。猪木側がアリに提示した300万ドル(当時のレートで約9億円。実際には直前でのルール問題の紛糾などの契約不履行を理由に180万ドル=5億5000万円で決着)というファイトマネーはたしかに大金だった。が、アリにすればさほど魅力のある金額ではなかったはずで、そもそも危険を冒してまで得体の知れないプロレスラーと対戦する理由にはならなかった。もっともアリは来日するまで猪木戦をエキシビションと考えていたというから、〝プロレスごっこ〟をしてそれだけ稼げるのであればビジネスとして格段に割がいいという判断はあったようだ。というのも、それまでアメリカで行われていた〝ミクスドマッチ〟(異種格闘技戦)はすべてプロレスのリングで行われたエキシビション。リタイアしたボクサーの小遣い稼ぎに過ぎなかったからだ。
 つまり、アリにはこれっぽっちもプロレスラーが自分に真剣勝負を挑んでくるという発想がなかった。裏返せば、アリは猪木の挑戦をプロレスラーのパフォーマンスとたかをくくっていたからこそ日本にやって来た(ご丁寧にも、アリは来日前にプロレスのリングに飛び入り。ゴリラ・モンスーンとエキシビションマッチまで行っている)。ただ、それが大きな誤解だと理解するや、アリは一転して冷静に猪木というレスラーの格闘家としての実力を精査。そして危険な相手と認めたからこそボクシング絶対有利の変則ルールを突きつけたのだった。
 もともとアリはプロレスやプロレスラーを見下してはいなかった。そもそもアリのトレードマークのビッグマウスも戦後アメリカマット界でスーパースターとして君臨した〝ゴージャス・ジョージ〟の物真似。アリはプロスポーツが興行である以上、発言やパフォーマンスも重要な武器になりうることをプロレスから学び、身を以て実践した最初のプロボクサーでもあった。さらに言うなら、黒人に対する社会の偏見と闘っていたアリは弱者や他の有色人種にもシンパシーを抱くことこそあれ、敵視したり蔑視したりすることはなかった。ベトナム戦争への徴兵をボクサー生命と引き換えにしてまで断固拒否した態度にもそれは現れていたが、ボクシング界復帰後もアリはヘビー級王者の権限を最大限に活かし、チャレンジャーを世界中から指名。ヨーロッパやオーストラリア、アメリカ国内でもマイノリティに属する白人(たとえば〝ロッキー〟のモデルになったチャック・ウェップナー)選手にも積極的にチャンスを与えるなど、リング上で偏見の存在しない理想世界を体現していたのだった。
 
 これは私の推論だが、アリは猪木にも同様のチャンスを与えたのだと思っている。アリはヘビー級ボクサーがほとんどいない東洋において、その役割を猪木に仮託したのだ。当初こそエキシビション程度の軽い心構えでいたかもしれないが、ともあれ、たしかにアリは猪木の本気を受け止めた。だからこそ、リアルファイトの異種格闘技戦という何が起きるかわからない前人未到の闘いに踏み込むことを決心したのだ。そう思うと、アリが猪木に突きつけたボクシング寄りの変則ルールの理由もわかる。つまり、アリはプロボクシング世界ヘビー級王者として一切の妥協をしないことで、逆に猪木を正式にチャレンジャーとして認めたのである。
 猪木・アリ戦は試合直後こそ〝世紀の凡戦〟と揶揄され、プロモーターでもあった猪木は40年前の金額で4億とも6億ともいわれる莫大な借金を背負わされた。しかし、結果として猪木はそれを補って余りある世界的名声を手に入れた。少なくとも、アジア圏においてモハメド・アリと闘った男はアントニオ猪木ただ一人。のちにその称号は湾岸戦争時の人質解放の際にも大きな効力を発揮したように、猪木にある種の〝神憑り〟や〝神通力〟をもたらしたのだった。
 アントニオ猪木をアントニオ猪木たらしめたのはモハメド・アリだった。
 アリが天に召された今、私はあらためてその思いを強くしている。
 合掌。
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# by leicacontax | 2016-06-05 16:14 | Comments(4)

東京タワー2218

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坂の上の塔。
縄文時代、このあたりは岬だった。
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# by leicacontax | 2015-12-20 09:59 | 東京タワー | Comments(0)

東京タワー2217

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夢で見た曲がり角。
歩いても歩いても、
あの塔に近づくことはできない。
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# by leicacontax | 2015-12-19 06:25 | 東京タワー | Comments(0)

東京タワー2216

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芝公園。
冬枯れのヴェール。
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# by leicacontax | 2015-12-18 00:00 | 東京タワー | Comments(0)

東京タワー2215

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東麻布。
タワーの鏡像。
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# by leicacontax | 2015-12-17 04:39 | 東京タワー | Comments(0)